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『グリニッチヴィレッジの青春』/スージー・ロトロ

作品概要・所感

『THE FREEWHEELIN' BOB DYLAN』のアルバムジャケットで有名な、ボブ・ディランの当時の恋人、スージー・ロトロによる回想録。60年代前半のグリニッチヴィレッジやフォークシーンのようす、そしてもちろん恋人目線でのボブ・ディラン像が描かれている。

とはいえ、何かを暴露するような向きはまったくなく、芸術家/人間としてのボブ・ディランをリスペクトし、冷静な筆致で当時のできごとや心情を描いているところが良い。文章全体から、真摯で誠実な姿勢が感じられるのだ。

わたしは長いあいだ、ディランの人生のなかの自分の役割をたいしたものではないと考えてきた。そんなものはなかったと考えようとしてきた。強引に訊きたがる人には、表面的な情報を教えて逃れた。ほんとうのところは、彼の歌がすべてを語っていると考えている。歌は、彼が経験した気分や感覚を翻訳した形で語っている。ボブの歌はすべて自分自身のためのものであり、自分自身に向けたものだ。彼は自分の声で、そして人の声を借りた形でそれをする。
ディランの歌のどれがわたしのことを歌っているというようなことは言いたくない。それは、彼が世界に向けて送りだした作品を損なうことにつながる。歌は聴き手のものだ。歌を聴き、それに自分を重ね合わせ、それぞれの経験を通して解釈をする聴き手のものだ。(p.332)

本書はあくまでもロトロの自伝であるので、ディランとはとくに関係のない話にもかなり多くのページが割かれている。たとえば、イタリア系の両親のもとで「赤いおむつの子」(←共産主義者の家庭で生まれた子供はこう呼ばれていたらしい)として生まれ、やがて公民権運動にコミットし、キューバ革命後には同国へこっそり渡ってカストロやチェ・ゲバラとも面会したりなどといった政治的活動の話や、絵画や演劇といった芸術に魅せられ、さまざまな創作を行っていた日々についてもたっぷりと描かれている。

しかしそれらの各シーンや自身の心情の描写がいずれもやたらと細かいところがすごい。読んでいて、そんなにしっかりと覚えているものか…?とおもってしまうくらいなのだけれど、いや、でも青春時代とはそういったものであるのかもしれないな、という気もする。俺自身、10代後半〜20代前半の頃の記憶と、ここ10年くらいの記憶を比較してみて、どちらが色鮮やかに想起されるか、って言ったら、それはもう前者に決まっているのだし。

歴史的証言であると同時に、普遍的な青春の物語

そういう意味では、本書は60年代のグリニッチヴィレッジのシーンに関する歴史的証言であるのと同時に、ひとつの普遍的な青春の物語でもあるということができるだろう。そして、ディランとロトロのストーリーというのもまた、「特殊な才能に恵まれた世紀の天才とその恋人の話」であるのと同時に、「若いふたりがはじめて互いの根本的な違いを認識し、それにとまどったり衝突したりしながらもなんとか進んでいこうとするごくありふれた話」であるということができるのかもしれない。

若い自分を捧げてだれかのために奉仕する――それはわたしには絶対に堪えられない考え方だった。わたしは自分が生きることに興味があり、そのための模索をしているのだった。だれだれの女としかみられないのは、いやだった。ボブ・ディランのギターの弦の一本になどなりたくなかった。ボーイフレンドがいるからといって、その人の一歩うしろを歩き、その人が捨てた飴の包み紙を拾って歩かなくてはいけないなどということが、あっていいはずがない。(p.293)
彼は彼の側から考え、わたしはわたしの側から考え、そうやってふたりとも疲れ果てた。話はたくさんしたが、ほんとうの意味で伝わる話はしていなかった。わたしたちはふたりとも感受性が強く、いつも神経を尖らせていた。まわりから別のプレッシャーもかかった――あの男はよくない、あの女はふさわしくないと。このままではいけないと思っていたが、つぎの一歩が踏み出せなかった。(p.309-310)