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『ソウル・マイニング 音楽的自伝』/ダニエル・ラノワ

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

カナダはケベック州出身のミュージシャン/プロデューサーである、ダニエル・ラノワの自伝。幼少期における音楽への目覚め、ショーバンドでのドサ回りの日々、兄のボブと設立した自前のレコーディングスタジオでエンジニアとしての素養を身につけるまで、などといった回顧録定番のエピソードはもちろん、ブライアン・イーノとの出会いや、U2、ディラン、ネヴィル・ブラザーズ、エミルー・ハリス、ウィリー・ネルソンらと行なってきた作業の様子なども描かれている。全編に渡って彼の音楽やレコーディングに対する信念やこだわりが感じられる文章になっているので、ラノワのソロ作品やプロデュース作品を聴いたことのある人ならば、それなりに興味深く読むことができるだろう。

たとえば、ピーター・ガブリエルの"Sledgehammer"についてのエピソード。

「スレッジハンマー」では、あらかじめ決められていたアレンジ通りの演奏が終わったあと、長く楽しいジャムに突入していった。本当に信じられない出来の自然発生的なボーカル・アドリブが、ピーターに「降りて」きた。そのなかには歌詞になっていないものや、意味をなさないものもあった。単に楽しいだけの「飛び跳ねて踊ろう」的な歌詞だ。たとえば「俺はずっとリズムに『エサ』をやってきてるんだ」、「俺に見せてくれたら、俺も見せてやる」、「これは俺が踊り込むための新しいヤツだ」などだ。(p.119)

ピーターとローズ、私はこの勢いに屈した。このなんでもありのダンスパーティ、新たな熱狂、誰でも参加可、家族も友人も、家ごと持って来い、再生、生きることへの祝福。「スレッジハンマー」のビデオを見ればそれがどんなものかだいたいわかるだろう。想定していなかったこのジャムの部分が、この曲の中で私の一番のお気に入りとなった。私は前半部分を切って、狂ったパーティのような最後の部分が曲に入るようにした。(p.119)

"Sledgehammer"って、まさに「狂ったパーティのような」曲だとおもうけれど、そういった要素はいったんテイクが録れた後の自由な雰囲気のなかで生み出されたものだった、というわけだ。こういう裏話的なエピソードがいろいろ読めるのはたのしい。

俺はラノワの関わった作品の「音像の立体感や深度」、「各音のバランスの良さ」なんかが好きなのだけれど、本書には音量や音のバランスとその効果についての文章も多く含まれている。たとえば、「単一音源」と題された章で、ラノワはこんな風に書いている。

私のこれまでの作品の中で気に入っているのは、すでにバランスがよく取れているミュージシャンや歌手のグループを、スナップショットのように録音したものだ。エミルー・ハリスの『レッキング・ボール』は、その一つの例だ。部屋の中で、楽器の音がボーカルより大きくなることは絶対になかった。人間による演奏という音源はバランスが取れているので、モノラルのマイクを一本しか使わなくても、聞いて心地よいバランスが得られる。(p.214)

最近私は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの録音に感動した。このとても古い録音が、私に単一音源の感動を与えてくれた。レコードを聞いているというより、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの前に自分が立っているように感じた。ギターにはダークさがあり、声にはビブラートがかかっていたが、これら二つの要素は一体化していた。これら二つの音は、パフォーマンスの環境によって、すなわち、部屋やバックポーチ、天候などによってブレンドされていた。(p.214)

「スナップショット」的でシンプルな録音を成功させることができれば、マルチマイクやマルチトラックを用いた要素分離的な方法よりも、音の実在感や理想的なバランスを得やすいだろう、という主張だ。ラノワのプロデュース作品に邸宅や古い建造物をレコーディングスタジオとして利用したものが多いのは、こういった理由によるものなのだろう。

また、そうして録音した音源にアレンジを加える際には、以下のようなことを意識していたりする、とラノワは書いている。

この段階での私の作業は、すでに存在しているモチーフの細部を反復、強化、拡大することでしかない。サンプリング・マシンを使って一部を採取するが、その際に、これをどんなふうに曲に戻して新しいテクスチャーを得るのかを想定していかなくてはならない。(p.77)

これは皮膚移植や、実験室におけるドナーの細胞分裂、洋服のモチーフの拡大といったプロセスと同じようなものだと考えると面白いだろう。たとえば、あるドレスに花のパターンがある場合、これに同じ花模様のポケットをつける感じだ。でもこの際、ポケットの花は二〇倍くらいの大きさに拡大するのだ。ポケットだけ見ていれば、これが同じパターンだとは気がつかないだろうが、色調(トーン)や色には関連性が感じられる。(p.77,78)

この引用にもあるように、ラノワは自身のことを外科医や科学者に例えてみせることが多い。音楽と直感的に対峙するだけでなく、しつこいくらいに研究を続け、精緻な分析を行い、改善すべき点を炙り出し、適切な編集を行い、それによって新たな価値や美しさを見つけ出そう、という態度が重要だというわけだ。このような資質や性格が彼を一流のプロデューサーたらしめているのかな、という気がする。