作品概要・所感
村上春樹・ミーツ・ブコウスキー、という感じの一冊。桜井鈴茂の小説は以前に2冊読んだことがあって(『アレルヤ』、『終わりまであとどれくらいだろう』)、それとおよそ似たような雰囲気だった。
本作は短編集で、13の「女たち」にまつわる話が収められている。各短編は「イズミ」、「マイ」、「キキ」といった女の名前が冠されており、女自身や、その女と関係のあった男によって半生が語られる、といったものが多くなっている。一人称での語りが多めだが、三人称での作品もいくつか含まれている。
オマージュと自嘲のあいだ
先に村上春樹とブコウスキーの名前を挙げたけれど――実際に本編中にも彼らの名前はキーワードとして出てくるので、桜井が意識をしているのは明確だろう――村上春樹的だというのは、たとえば以下のようなところだ。
「どうしてマージナルな場所に惹かれるの?」「さあね。おれ自身がマージナルな人間だからかな。」
「それ、ちょっとカッコつけすぎじゃない?」
「世界に革命をもたらす運動は、山腹に立つ農夫の心にある夢とヴィジョンから生まれる。」
「……なにそれ?」
「ジェイムズ・ジョイスの言葉。」
「ふうん。」サンドラは再びおれの目を見据えた。その眼光はおれの中の薄汚れた氷塊を溶かし始めていた。「あなたってほんとに変わってる。わたしが言えるのはそれだけよ。」
(「サンドラ」p.35)
作家の言葉の引用→女に「あなたってほんとに変わってる」と言わせるのは、村上春樹の常套手段だろう。これはオマージュというところだろうか。
ぼくは彼女のあれこれを想像し始めている。趣味とか暮らしぶりとかについて。例えば、彼女はどんな本を好んで読むのだろう。できれば村上春樹は読んでいてほしくないなと思う。電車の中などで若い女性が村上春樹を読んでいるのを見かけるとぼくはいつも落胆する。三十八歳の女性が村上春樹を読んでいるのはべつに嫌じゃないけど、二十六歳の女性が村上春樹を読んでいるのはどうにも居た堪れない。きみみたいな若い女性が今さら村上春樹を読む必要なんてないよ、と言って本を取り上げたくなる。(「エリ」p.109)
そしてこのあたりは、作家が自身の文体の村上春樹っぽさを意識して自嘲している、というようにも見える。文章全体のムードもそうだし、「表情はナポリの青物市みたいに豊か」、「小ぶりの口はその傍らのセミコロンみたいな二つのほくろとセットで一つの器官というふう」といった比喩表現などからも、村上春樹っぽさをどうしても感じてしまうようにおもう。
ちなみに、本書のタイトルは、村上の『女のいない男たち』を連想させもするけれど、同作は2013〜14年に連載されているので、桜井の『女たち』(2009年出版)の方が先行している。桜井は単に、ブコウスキーの"Women"から取ってこのタイトルをつけたのだろう。
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ブコウスキー的なのは、文章のスタイルやキャラクター造形(情けない語り手の男)もそうだし、「世に蔓延るくそったれども!」「くたばりやがれチンカス野郎!」「腑抜け野郎!」みたいな言葉が出てくるところからも明らかだろう。(まあ、ブコウスキーほど連発しているわけではないが。)
そして、本作のハイライトとも言えそうな、「リンダ」。これは、売れない作家が、リンダ・リー・ブコウスキー(=チャールズ・ブコウスキーの妻)を名乗るおばちゃんと出会う話で、ブコウスキーへの素直な憧れが感じられる一編だ。たとえ偽物であろうと、「とことん思い込む」ことこそが人生を動かすのかもしれない…というモチーフで、これにもう2、3ツイストが加わると、ポール・オースターの作品みたいになりそうな雰囲気もある。
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桜井鈴茂の小説は、正直なところ、めちゃくちゃすごい、という感じはしないのだけれど、なんだかんだで好きな作家ではあるなと改めておもった。なんというか、めっちゃ共感できる、趣味の合う友達、みたいな感じがしてしまうのだ。小説としておもしろい、というのももちろんあるのだけれど、クストリッツァとベス・オートンとキュアーとスミスとブコウスキーが好きっていうだけで、もうその時点で信用できるじゃん、みたいにおもってしまう。そしてそういう人ならばきっと、以下のような、この世のなかに対する反骨心、抵抗心というのも持ち合わせているものなのだろう。
きっとわたしは一方で抵抗もしているのだ。お行儀の良い振舞いを知らず知らずのうちに身につけさせられることに。差し障りのない型へ押し込めようとするこの社会の見えざる圧力に。もちろん、あくまでも楽しみが先にあってのことだけど……いや、ちょっと待って……というより、徹底的に楽しむという行為にはおのずと抵抗するという要素が組み込まれているのかも。破滅というのは、抵抗の行き過ぎた結果と考えることもできるのだし。だからきっと、ほどほどに、なんて言葉があるのよね。過ぎたるは猶及ばざるがごとし、なんて戒めも。いずれにせよ、楽しみというものが抵抗とまったく関係がないのなら、わたしはこのゲームにこれほど病み付きになっていなかったと思う。(「キョウコ」p.53)
