
作品概要・所感
アンディ・ウィアーの原作は未読。彼の小説は、『火星の人』と『アルテミス』しか読んだことがないのだけれど、それらと似た雰囲気の映画になっていた。
つまり、おもしろさの主軸にはSF的な設定の奇抜さというよりも、主人公の科学的なトライアンドエラーの工程を丁寧に描くという面が大きくあり、極限状況を描いた物語であるくせに悲壮感はあまり感じられず、あくまでポップで明るく、一貫したユーモアとオプティミズムで乗り切っていこうぜ、というノリがある。SFだけれどもしっかりと万人に受けやすい要素が組み込まれた作品、という感じだろうか。
本作の原作小説は、世のなか的には「めちゃくちゃおもしろい!ネタバレ厳禁ね!」と、相当話題になっていたとおもうけれど、この映画がどのくらいおもしろかったかというと…どうだろう、個人的にはまあ可もなく不可もなくだった、というのが正直な感想ということになりそうだ。
ど直球のエンタメ大作がもたらす、心地よさと物足りなさ
156分となかなかの長尺である本作を牽引していくのは、執拗なまでに投げ出され続けるミステリ的要素である。なぜ主人公は宇宙にいるのか、なぜ隣に死体があるのか、一介の教師に過ぎない彼がなぜ人類の命運を託されたのか、この物質は何か、このエイリアンは敵か味方か…?などなど。常に何らかの謎が未解決のまま眼前に残され続けるものだから、観客は次の展開を気にしないではいられなくなるのだ。
また、主人公と未知の生命体(ロッキー)とのバディものとしての側面も大きいだろう。もともと完全に異質な存在同士である彼らが、さまざまな工夫によって制約を乗り越え、コミュニケーションを取る方法を編み出し、最終的には互いの命を預け合うような関係にまで至る、というのはベタだが熱い展開である。そしてそのエンジニアリングのプロセスというのはさすがはアンディ・ウィアーという感じで、ああそうやってやり取りしていくのね、なるほど…!みたいな納得感を持ったものになっている。(そしてロッキー、見た目は完全にただの岩なのだが、動きと音が加わることでなんともキュートな存在感の相棒になっている。この可愛さは映画ならではのものだろう。)
こういった本作の特徴は、大作ハリウッド映画のテンプレートそのものだと言うことができるだろう。
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そういえば、本作を見て真っ先に頭に浮かんだ感想は、ああこれって、『アルマゲドン』の自己犠牲と、『E.T.』の異星人との交流っていう、ふたつの超王道プロットをがっちゃんこしたってことね、ということだった。しかし、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』とこれらの作品を隔てているのは、これを伝えたい、見せたい、という強い意志、作り手の執念のようなエゴの有無ではないか。
本作には、マイケル・ベイのような過剰で暑苦しいヒロイズムもなければ、スピルバーグが描くような、子供の孤独に寄り添う詩的とも言えるような叙情性もない。それらの生み出す過剰さはすっかり削ぎ落とされ、誰にとっても飲み込みやすく整えられている。いわば、クリーンでとってもお行儀の良い、テンプレ的ハリウッド映画に留まっているのだ。
観客を楽しませる工夫が全編に渡って凝らされているので、普通にエンタメ映画として心地よく見続けることができはするものの、手堅いなー、という印象ばかりが残ってしまった。最後まで興味が途切れることはなかったのだが、どこかで強く引っかかることもなかった、というか。たぶん原作のほうにはSF要素やアンディ・ウィアーらしい実証実験のシーンがもっと濃密に詰め込まれていて、そういう部分がおもしろかったのだろうな、そしてそのあたりは映画化に際してオミットされてしまったのだろうな…という雰囲気を感じはしたのだけれど。