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『明け方の猫』/保坂和志

明け方の猫 (中公文庫)
夢のなかで猫になった人間を、その夢の内側から描いた小説。主人公は猫の身体に人間の思考を持っている、って設定だから、猫を描写した小説というわけじゃなくて、記述の仕方が猫的な小説、とか言った方がたぶん近い感じ。人間の感覚・論理と猫の感覚・論理とが重なり合った意識が、夢という独自のリアリティを持った世界を認識していくそのさまが、これしかない、っていうような密度を持った筆致で描かれていて、ちょっと他にはなかなかないような作品になっている。

しかしいまになって気がついたのだが人間だった頃よりも世界の音が澄んでいるようだった。「ようだった」ではなくはっきりとそうだった。ボロいスピーカーで聞いていた音楽をいいスピーカーでかけたときに、「こんなにクリアだったのか」と感じるのと同じように音が聞こえてきていた。「クリア」どころじゃない。最高の装置で再生すると室内楽の楽器の配置までわかると、オーディオマニアが言っていたのを思い出した。(p.61,62)

いや、そんなもんじゃなくて、物の凹凸をただ見るのと手で触るぐらいの違いだった。これが「音」というもので、人間だったときに聞いていたのは音ではなかった。いや、人間が聞いているのが「音」で、猫が聞いているのが音じゃない別のものなのかもしれなかったが、それを指し示す名詞を知らないと彼は思った。そういう名詞がないということに彼は思いいたらなかった。バイクの音や自転車の音や布団を叩く音やテレビの音という生活音のひとまわり外側で、鳥のさえずりがドームを形成しているように聞こえていた。(p.62)

で、この小説は、確かにすごくおもしろいのだけど、そのおもしろさをうまく説明することばがぜんぜん見つからないなー、と読みながらずっとおもっていた。や、俺はいつもそんなことばっかり言っているのだけど。改めてかんがえてみるに、保坂和志の小説を読んでいるときの心の動きってなんだかかなり独特で(たとえば、この小説はいわゆる“物語”ってものとはだいぶ異なるだろう)、その動きの感じを掴みたいから、ことばでその動きの感じに近づいていけたらっておもうから、保坂の小説を何度も読みたいっておもうんだろうなー、なんてことをかんがえていたのだった。