保坂和志のインタビュー集。編集者との対談形式になってはいるものの、ほとんど保坂がひとりでしゃべり続けているので、まあインタビュー集という言い方で間違いはないんじゃないかとおもう。保坂の近頃の小説以外の作品はだいたいどれも同じような内容なのに(おまけに、小説について書かれた3部作と比べると、内容的にはだいぶ薄めなのに)、新刊が出ているとついつい買ってしまうのだけど、それはきっと、この人の文章を読んでいると、勇気が湧いてくるような感じがするからだ。そして、彼の文章がそんな感覚をもたらしてくれる理由のひとつとしては、下記のようなことが挙げられるんじゃないかとおもう。
作品もそうだけど、考えも、予感とか手触りとか洞察は、科学的、論理的な根拠に優る。それで面白いのは、そういう根拠なく自分でパッと思いついたこととか、個人的に喋ったり、自分で考えたりしていることでも、やがて同じことを言っている言葉に出会うんだよ。
ニーチェだったり、フロイトだったり、老子だったり、誰だったりといろいろなんだけど、本当に自分が考えたのと同じ言葉に出会う。どんな突飛だと思うことでも、絶対、誰かが言っている。
そういうものに出会うと、がっかりするんじゃなくてホッとする。ちょっと考えると自分の独創性が否定されてがっかりするように思うかもしれないけれど、「こんなこと思ってるのは自分ひとりなのか」という不安というか、確信が持てない感じがあるもんなんだよ。だから、言った本人は不思議に安心したり、ホッとしたり、自信を持ったりする。こんなことを思っているのは自分ひとりなのかなって考えているそのときは不安定なんだけど、必ず何年か以内に出会う。
それはもっと冷めた言い方、人の足を掬うような言い方をするやつに言わせれば、じつはその前に一度出会っているんだけど、そのときには自分の関心がそっちに向いていなかったから、そのフレーズをスルーしていて、でもやっぱり頭に残っているから、それをまるで自分の考えのように言ってたっていう理屈になる。
それでも自分にはスルーしたという意識はないわけだから同じで、こんなことを考えているのは自分ひとりかな、みたいな確信が持てない感じが続く。
いや、確信とは違うかな。確信がほしいわけじゃないから、やっぱり不安定なんだよね。ユラユラしている。でも、同じことを言っている言葉に出会うと、そこで安心してカチッとする。だから、こんなことを考えているのは自分ひとりかな、みたいな不安定な状態っていうのは不安に思う必要はないんだ。(p.278,279)
保坂の本を読むことは、俺にとってはまさにこういう「同じことを言っている言葉に出会う」経験だよなー、という気がする。そして、本を読んでいてもっとも快感を得られる瞬間のひとつは、こういう経験ができたときのことだとおもう。