Show Your Hand!!

本、映画、音楽の感想/レビューなど。

“痛い”描写

小説にはよく、“痛い”描写っていうのがあるじゃない。精神的とか、気分的に痛いって意味ではなくて、ごく物理的に傷つけられて痛い、っていう、そういうのの描写が。小説における身体感覚っていうのは描写のリアリティとかに関連してくるのだろうけど、優れた作品を読んでいると、描かれている感覚がまるで自分のものみたいに感じられたりもする。ある物語にすっごい入り込んで読んでいるときに、ものすごく精度の高い、あるいは戦慄を感じるほどに衝撃的な“痛い”描写に遭遇して、具合が悪くなったり、くらくらきたりしたことって、たぶん誰しも一回くらいはあるんじゃないかとおもう。

そんな“痛い”描写ってことで俺がいちばんにおもい出すのは、コーマック・マッカーシー『すべての美しい馬』のナイフでの決闘のシーンだ。高校生のころだったかな、電車の中で読んでいるうちに本気で貧血みたいに目眩がして気分が悪くなってきて、でもそのときに、あー俺、いままじですげー小説読んでるんだ、うわっ、やっべー、ってやたらと興奮したのを覚えている。

かんがえてみるに、小説のリアリティというのはふしぎだ。たとえば、俺は映画の“痛い”シーンでこんな風に気持ち悪くなったりしたことはない。映画はあくまでカメラに映し出された映像だから、人のようすを見ている感じで、自分の痛みじゃないから、ってことなのかな。で、小説の場合だと自分で映像的なものとか痛みそのものを想像しながら読んでいくことになるから、痛い感じをより身近、っていうか自分のものみたいに感じやすくなったりするんだろうか。そういえば、小説の“痛い”シーンを読んでいるときに感じるものって、仕上がったばかりの真っ白なプリントを人から渡されたときに、「あー、このプリントで指とかしゅっ、てやったら、絶対スパって切れて血が出るよなー」とかかんがえたときに頭をよぎる、その“痛い”感じに似ている気がする。肌がざわつくような、身体に直接ぞわぞわっとくる感じっていうか。

…ってなことをバイト中にずっとかんがえていたところ、どうしてもマッカーシーが読みたくなってきたので、帰りに『血と暴力の国』を買ってきた。これ扶桑社から出てるんだねー。まさかガチなミステリじゃないだろうとはおもうけど、意外だった。まあとにかく、また凄みのある“痛い”描写に出会えたらいいなーって期待感とともに、あとさっきコンビニで買ってきた二階堂とともに、これから気合いを入れて読む。