ストーリーは非常にわかりやすい、王道といえばこれ以上ないくらい王道のファンタジーだ。はっきりいって、物語そのものには意外性のかけらもない。映画の冒頭10分くらいで、あーそういう話か、ってもう大筋はわかってしまう。っていうか俺、ここまで「どこかで知ってる」要素ばっかりの作品に出会ったのははじめてかもしれないなー。ある意味すごい。そして、こんな話ならもう知ってるでしょ、とばかりに、ストーリーは細かな描写や説明をがんがん端折りながら進んでいく。こういうのって、ご都合主義とか、イージーな構成だみたいに言われがちだとおもうんだけど(いや、俺だってそうおもうけど)、そもそも『スターダスト』は、緻密な物語をたのしむような作品ではないのだ。
ふつう、ファンタジーでいちばんに重要なのは、その世界観がしっかりと構築されていることだ。『指輪物語』とか『ナルニア国物語』みたいに、まずはきちんとした世界観の設定があることで、はじめてファンタジーはフィクションとしてのちからを獲得できる。のだけれど、この映画はその世界観からして、もうかなりおおざっぱだ。宣伝では、宮崎アニメの影響がうんぬん、っていわれていて、たしかにそんな感じのするシーンや要素はたくさん含まれていたようにおもう。飛行船とか出てきたりしてね。でもそれ以前に、ストーリーもキャラクターも、みんなどこかで見たことのあるようなものばっかりだし、宮崎アニメで重要視される、画や構成のクオリティや、思想性・批評性といったものは、この映画からはすっぽりと抜け落ちている。
で、ここまで読んだらなにがよかったんだよ、って感じだけども、ここからはよかったところの話。映画を見ていたとき、この眩しさがいいよなー!とおもっていたのね俺は。なにが眩しいって、衒いのなさ。この21世紀には信じられないくらい直球の(工夫がない、ともいう)、しかもまったくもって深みを欠いたストーリーを、恥ずかしげもなく描いてくれちゃうところ。その素朴な、無邪気ともいえるくらいの感じがなんかすきだなー、って感じに見ていたわけ。こういう態度って、たぶん小説とかだったら腹立たしくなってきてばっさり斬ってしまいたくなるとおもうんだけど、映画でじっさいに俳優たちが演じてるのを見ると、なんかこういうのもあり、っていうか、たのしくていいじゃん、って気分になってくるからふしぎだなー、なんて。
でも、物語が見ていてひいてしまうくらい大団円なハッピーエンドをむかえ、エンディングに妙に80年代風っていうか、大仰で安っぽくて、こっちが恥ずかしくなってくるくらいうすっぺらな曲がかかるのを聴いていると、この、今の時代にどうにも似つかわしくないくらい素朴な感じは、単なる不器用や鈍感ではなくて、狙ってつくったものだったんじゃ…、と(ようやく!)おもいあたった。この映画って、最近の大まじめな大作ファンタジー映画に対するアンチテーゼ、っていうか、そういうのをネタにしたギャグ映画だったんじゃん!?って。それならこのストーリーや設定のいいかげんな感じ、ギャグのダサさ(かなり古臭い)、きもいくらいのハッピーエンド、なんて要素も納得がいく。反シリアスの旗の下におけば、意外といけてるんじゃないのこれ?という気がしないでもない…。
いや、けどやっぱ、書いていてわかんなくなってきた。製作側としてはどの辺の位置を狙ってこの映画をつくってきたのか、俺には結局あまりよくわからない。単なる無邪気さの産物とはさすがにおもわないけど(ロバート・デ・ニーロのシークエンスなんかは、いかにもなコントだし)、大作を斜めからみて、ちょっとコケにしようとしているわりには、どうにも力不足な感じがする。ファンタジーのパロディとしてのギャグ映画っていいきるには、物足りない。このベタさ、直球感とそれに付随するえもいわれぬダサさは、1周回って逆にクール。みたいなものとはどうかんがえてもちがうし、全体的な完成度だってそう高くない。なによりB級感がただよいまくっている。
でも、なんだろう、この感じ。ピュアだけどねじまがっているのか、ひねくれているけど純粋なのか。イギリス流のブラックユーモアの、なんか分かりにくいやつなのか。さいごまでうまくいえてないけど、すごいすきなんだよなー、こういう感じ。