
- 作者:舞城 王太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/16
- メディア: 文庫
この短編集にも、
「人生には正しいも間違っているもない。物差しは結局のところ自分の価値観しかないのだ。他人の物差しと比べてみたところで、それも自分の価値観を基にしているわけで結局は相対であって絶対ではなくて……」(「バット男」)
「恐怖に立ち向かうのは、明日ではもう遅いのだ。今すぐそこに戻らなくてはいけない。でないと、自分の恐怖を消し去ることはできなくなるのだ。」(「熊の場所」)
とか、なかなか熱い主張がある。全体的にすごくぺらっぺらな文体なのに、真摯さみたいなものが見えるところが、意外にまじめな感じで俺はすごくいいとおもうし、読み終わったらいろいろ感想なんかを言いたいような気分にもなってくる。のだけれど、いざ本をおいて、作品についておもい返してみると、そこにはあまりリアリティが残っているように感じられない。そこが個人的には、ちょっと、なんだかなーっておもうポイントだ。
舞城の主張はいつもまっとうで、誠実、うつくしい。けれど、小説のなかには、その主張にいたるまでのプロセス・経験といったものが、きわめてあっさりとしか描かれていない。彼はそういった(いわゆる日本文学が得意だったような)、たとえば内面をねちねちと描くようなプロセスをうっとうしいものとしてあえて遠ざけているのだろうけれど、しかしその主張はともすればただの一般論、紋切り型におさまってしまうのではないか。そんな気がする。
そこにはもちろん、あまりにも全体的にドライブ感がありすぎるせいで、読者に立ち止まってかんがえるひまを与えない、ってこととか、主人公のキャラクターが妙に完成されすぎている感がある(ので、経験を通して変化していっている感じがあまりしない)こととかいう要素もあるのだろうけれど、それでもやっぱり、俺はちょっと物足りないなーっておもってしまう。ある主張が読者の心情に訴えかけるためには、その主張が小説中でリアリティを感じさせるものでなければならない。そこではじめて、その主張の真摯さは担保されることになるはずだ。小説全体のドライなうすっぺらさのなかで、ややもするとウェット過剰になりそうなくらいまっとうな主張をしているところがうつくしいのに、肝心な、そこに至るまでのプロセスに関しては、いささか簡略化されすぎているきらいがあるようにおもう。
いや、でもこの本におさめられた3編はとてもすばらしいとおもう。俺はほんと、3つともすごくすきです。文章にとてもドライブ感があって読む快楽を存分に味わえるし、はっとするようなことばだってある。そういうよろこびがある以上、そこで作者の倫理的な主張がこころに響くかどうかなんて別に気にしなくてもいいのかなー、っておもわないこともない。ていうか、そもそもそういう小説なんじゃん、って言われそうな気もするけど、うーん、やっぱりあっさりしすぎな気がするんだよなー。