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『僕が戦場で死んだら』/ティム・オブライエン

僕が戦場で死んだら (白水Uブックス)

僕が戦場で死んだら (白水Uブックス)

ベトナム戦争に従軍した経験を持つアメリカの作家、ティム・オブライエンが書くのは、いつも戦争についてだ。この処女作において語られる物語も、ベトナムでの経験がベースにあるものなのだろうけれど、とにかく印象に残るのは小説全体から立ちあがってくるリアリティ、説得力といったものだ。

1人の歩兵として、主人公は無意味としかおもえないような戦争をなんとかサバイヴしながら、いったい何が価値のあるものなのか、あるいは、価値があるとして、では価値とはいったいなにか、といったことについてかんがえることになる。だがもちろん、ハードな現実を前にしては、たとえば、勇気とはなんなのか、正しい行動などというものがあるのか、などといった疑問は、保持しつづけることすらむずかしい。そういった困惑や諦念、…いや、オブライエンの作品に諦念、ということばは似合わない。なんていうのかな、まあそういう自分の揺れるおもいが注意深く描かれている。冷静な筆致、ってやつかな。

オブライエンの文章は、何がいいとかわるいとか、どうあるべきなのか、といった問題に関する答えをはっきりと書くことはない。その代わり、彼は、ひたすらリアリティを提示することに執念を燃やしているようにおもわれる。オブライエン曰く、happening-history(事実歴史)よりも、むしろstory-history(物語歴史)を重視するということらしく、そういうことについてかんがえだすと、小説のリアリティとはいかなるものか??ということがやはり気になってくる。

まったく客観的で、歪められていないフィクションなどといったものは存在しない。いや、だからそういうのはノンフィクションでしょ、って言われそうだけど、ノンフィクションでも、ある人がことばを使って文章を書く時点で、やっぱりどこかに視点を設定しなくてはならないし、そうなればぜったいの客観性は担保され得ない。だから、リアリズムの小説であろうとノンフィクションであろうと、なにかしらの歪曲や誇張から逃れることはできず、でも人はふつうにそういった作品を“リアリティのあるもの”として読んでいくことになる。だから、リアリティを感じる小説、文章といったものがあれば、それはすべからく“人にリアリティを感じさせるもの”である。リアリズムとはあくまで語り方のひとつであって、それは読者に、読者が同意・賛成できるようなリアリティをよびおこすことのできる(あるいは、よびおこす、と考えられている)語り方なのだろう。

で、オブライエンの話に戻るけど、この『僕が戦場で死んだら』って、フィクションだかノンフィクションだかよくわかんないなー、ってはじめ読んだときにおもったんです。でも、かんがえてみるとそんなのは別にたいした問題じゃないんだろうな、ってことがわかってきた…、気がするので上のようなことを書いてみました。

さいごに、すこし引用してみる。

夢が教訓の種になるだろうか?悪夢に主題があるだろうか?われわれは目覚めて、悪夢を分析し、それをもとに自分たちの人生を歩み、結果として他人に助言を与えられるだろうか?たかが一歩兵が戦場で戦ったというだけで、戦争について何か重要なことを教えられるのだろうか?そんなことはできはしない。彼にできるのは、戦争の話をすることだ。

こういうふうに書かれると、やっぱりとてもリアルに感じるし、信頼できる作家だなー、っておもってしまいます俺は。