- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2008/10/16
- メディア: DVD
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物語の冒頭で描かれるのは、代わり映えのしない平凡な日常をただただ繰り返しては、どうにもならない渇きを消費行動によって辛うじてごまかしながら生きている、って主人公の姿だ。今回、俺はもうこの時点で、彼の姿を自分と重ね合わせずにはいられなくなってしまった(昔はなんていうか、もっと他人事として見ていたはず…)。あー、この主人公って俺のことであり、この社会のなかでひいひい言いながらなんとか暮らしている全ての人のことなんだよな、なんて、ものすごく素直におもってしまったのだ。
で、そんなある日、主人公はタイラーなる存在を発見、それまでの生活を一息で抜け出しては内なる衝動に身を任せ、どこまでもどこまでも突き進んでいってしまうことになるわけだけど、ああもう、これってまさにいまの自分ができていないことじゃんね、とかおもってまたぐっときてしまう。いや、自分がっていうか、まあ大抵の人にはそういうところがあるのだろうけれど。なんとはなしに決まってしまった自分の生き方、その進行方向が間違っているとおもってみたところで、そう簡単に修正することはできないものだ。だからこそ、タイラーという分身はひどく魅力的に見えるのだし、彼に惹かれる主人公の気持ちの切実さもよくわかる。
そうして物語は加速度的にデッドエンドへと突き進んでいき、爆発の轟音のなかで終結を迎えることになる。それは一見悲しい結末のように見えるのだけど、それでもどこか爽快感というか、やりきった感みたいなものがあって、どこか清々しい。結末はどうあれ、彼はやってのけたんだ、自分のおもう正しさ、自分のおもう生き方を全うしたんだ、って感じられるから、清々しいのかもしれない。
まあとにかく、物語としては過剰なところがかなりいっぱいある作品だけど、主人公の心情についてはこれ以上ないくらいリアルなものとして感じられたわけで、やっぱりこの映画のエドワート・ノートンは本当に最高だなーと改めておもった。彼の表情こそが、このぶっ飛んだストーリーに独自のリアリティを与えている、って気さえする。死んだように無気力に毎日を過ごしているときの表情、ファイト・クラブでついに生の実感を得ることができたときの表情、ラストシーンの穏やかで決意みなぎる表情、どれもお腹のあたりに直接くる感じだ。それと自分で自分を殴りまくってボコボコにするシーンね。このシーンの迫力こそが、タイラーっていうのはじつは…!って仕掛けの説得力を大きく増しているようにおもう。
…それにしても、なんて言ったらいいのかな、この、もう後戻りできないっていう感じ、未来へ向かう選択肢が狭まってきてるっていう息苦しい感じが、歳をとるにつれて少しずつ(でも着実に)切実なものになってきたなー、なんて、映画を見ながら、この感想を書きながら、改めて実感してしまった。いや、最近俺はそんなことばかりかんがえては、もやもやしたり焦ったりしているのだけど…。