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『猫を棄てる 父親について語るとき』/村上春樹

村上春樹がはじめて自身の父親について率直に書いたというエッセイ。全編通して、村上の小説や普段のエッセイの文体とはまた異なる、ごく淡々とした文章が連ねられているところが特徴的で、彼の文章からいつも感じられる、過剰なくらいの読者へのサービス感というのはほとんどないと言ってもいい。村上は、戦争によって大きく人生を変えられてしまったひとりの若者としての父親の姿を追っていくことで、彼の物語を、ある意味では心ならずも引き継ぎ、ある意味では自ら率先して受け継いでいこうとする。

もっとも、村上と父親のあいだにはかなりきっぱりとした断絶――「二十年以上まったく顔を合わせなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態」――があり、ようやく顔を合わせて話をし、和解のようなものができたのは、村上が60歳近く、父が90歳の頃だったという。そのため、本作のなかにも、父親自身によって語られた内容というのはほとんどない。あくまでも、父親の死後に村上が調べたり周囲の人から聞いたりした情報を元にしたもの、ということだ。父と子との関係というものの、なんと難しいものよ…とおもわされる。

昔は頑なに父親について書かなかった村上がこういうストレートな本を出すのはなかなかインパクトが強く、親との関係について自分のなかでなんとか整理する(片をつける、清算する、腹落ちするところまで持って行く…)、というのはやはりどうしたって人生のなかで必要になってくることなのだろう、と感じさせられる一冊だった。それにしても、20年以上も絶交している親のことなんて、そりゃそうそう簡単には書けないよね、とおもう。

そこで父と僕は――彼の人生の最後の、ほんの短い期間ではあったけれど――ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった。考え方や、世界の見方は違っても、僕らのあいだを繋ぐ縁のようなものが、ひとつの力を持って僕の中で作用してきたことは間違いのないところだった。父の痩せた姿を前にして、そのことを否応なく感じさせられた。
たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てに行ったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきり思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。(p.88-89)