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『女のいない男たち』/村上春樹

女のいない男たち

女のいない男たち

村上春樹の2014年作。短編集としては、前作『東京奇譚集』から9年ぶりの新作ということで期待して読んだのだけれど、これは素晴らしかった。『1Q84』あたりから、村上の作品の雰囲気はそれまでよりぐっと静謐なものになっているように感じられていたのだけれど、本作も、昔の作品と比べると、かなり「音量が絞られた」ような印象のする物語になっている。登場人物たちが口にする言葉や、雨が地面に落ちる音、煙草に火をつける音、車のエンジン音、それらのひとつひとつが静寂のなかで小さくも、しかしその存在をはっきりと主張しているような、そんな印象を受けた。

そういった静けさのなかで語られていくのは、女を失った、女を失いつつある、あるいは女を得ることのできないでいる、男たちの弱さや孤独や悲しみだ。あくまでも物語の音量は小さめであるので、センチメンタルであってもそれが過剰になることはない。彼らの内にある傷や痛みや苦しみは、その小さな音量のなかで、ひそやかに、それでいてどうしたって打ち消すことのできないものとして描かれていく。こういうタイプの小説を読むと、俺はいつも、「作家というやつは、弱い者、不具な者、抑圧された者を好きだ。それは嫌いだ、という人間などは、作家にあらずと言ってもいいくらいだ。」と中上健次が書いていたのをおもい出すのだけれど、本作の中心にあるのもやはり、弱い者、傷を負った者、負債を抱えた者ーー本作では、それは「女のいない男たち」として表現されているーーへとそっと寄り添うようなまなざしであると言うことができるだろう。

ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。ひとつ角を曲がると、自分が既にそこにあることがあなたにはわかる。でももう後戻りはできない。いったん角を曲がってしまえば、それがあなたにとっての、たったひとつの世界になってしまう。その世界ではあなたは「女のいない男たち」と呼ばれることになる。どこまでも冷ややかな複数形で。(p.276)

そしてひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染みこんでいく。淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。あなたがどれほど豊富に家政学の専門知識を持ち合わせていたとしても、その染みを落とすのはおそろしく困難な作業になる。時間と共に色は多少褪せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取るまで、そこにあくまで染みとして留まっているだろう。それは染みとしての資格を持ち、時には染みとしての公的な発言権さえ持つだろう。あなたはその色の緩やかな移ろいと共に、その多義的な輪郭と共に、生を送っていくしかない。(p.279)

とくに気に入ったのは、「ドライブ・マイ・カー」、「独立器官」、「木野」あたり。いずれも、「女のいない男たち」になったことで、自らの内に溜め込んでいたどろりとした暗闇と対峙せざるを得なくなる男の物語だ。そこには強烈な苦味があり、激しい痛みがあるけれど、それと同時に、そんななかからしか掬い上げることのできないある種の感覚というものもまた、確実に存在しているようでもあって、それが彼らの物語を切実で語られるべきものにしているようにおもう。