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『読む・打つ・書く 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』/三中信宏

進化生物学の研究者である三中が、どんな風に本を読み、書評を打ち、本を書いてきたか、について、ひたすらに細かく書き連ねている一冊。文系だとよく見かける類の本だけれど、理系ではなかなか珍しいのではないか。全体的に、とにかく記述が具体的で細かいのが特徴で、本の選び方、買い方、読み方から、書評や本を書く際のスタンス、構成や文体のかんがえ方、作業スケジュールの立て方まで、著者のこれまでの経験をもとにした考察やメソッドが、ぎっしりと詰め込まれている。

本書に書かれている内容は、極私的なものであり、それなりに偏向したものでもあるだろうけれど、そもそも、読んだり書いたりすることというのは、誰にとっても個人的、私的なことである他ないものだ。だから、ここで扱われているような一見かなり特殊な事例であっても――というか、むしろそうであるからこそ――読んだり書いたりする個人それぞれにとって、参考になるものになっているようにおもえる。読む・打つ・書くについてかんがえるとき、汎用的な正解みたいなものを求めようとしても仕方ないのだ。

読んでいて得心したのは、一般に、書評というのは「読者ファースト」のものでなくてはならない、ということが言われがちだけれど、三中はあくまでも「利己的な書評」を書き続けてきたし今後もそうし続けるつもりだ、という話。

私はもともと“利己的な読書”の延長線上に“利己的な書評”を書くことを旨としてきた。自分のため(だけ)に書評を書くことは彼らの「読書ファースト」という精神に反する行為なのだろうか。しかし、少し考えればそこに深刻な問題はないことがわかる。私は書評者であると同時に読者でもあるからだ、したがって、私のモットーは「とどのつまり、書評者の義務とは“自分ファースト”である」と言い換えられることになるだろう。自分にとってもっとも誠実な書評を書くことが、ひょっとして他の読者にとっても何らかの役に立つとしたら、それほど喜ばしいことはないにちがいない。(p.119)

これには完全に同意できる。だいたい、「読者ファースト」ばかりを気にしているような書評というのは、評者がその本を読んで何をかんがえ、感じたのか、ということがいまいち伝わってこなかったりして、おもしろくないことが多い――本の紹介というか宣伝にしかなっていないのでは?って感じられてしまう――ものだ。「自分ファースト」を貫くことでこそ、書評の誠実さが保たれる、というかんがえは、俺にもしっくりくる。

また、書くことをついついサボってしまいがちな自分にとっては、以下のような箇所も刺さった。

本を書こうとするならば、唯一たいせつな点は「飽くことなく毎日続けること」だ。たとえ一日一枚(400字)しか書く時間がなかったとしても、一年間続ければ365枚で新書一冊の分量に、さらにもう一年続ければ700枚を超えるので本書と同じくらいの厚さの単行本になるだろう。(p.315)
「たくさん書きさえすればいいのか?」という疑問を抱く読者はきっといるだろう。おそらくその読者は書いた文章のできばえを気にしているのだろう。よくあるこの疑問に対して、私は「そのとおり。たくさん書きさえすればいいんです」といういささか挑発的な返答をあらかじめ用意している。当たり前のことだが、そもそも書いた文章がなければ加筆修正したりポリッシュアップできないだろう。できばえなんかあとでいくらでも手を入れられる。まずはとにかく四の五の言わずに書きまくれ。(p.316)

まずはとにかく書き続けることこそが重要なのだ、というのはよくわかる。いや、よくわかってはいるつもりなのだけれど、でも一度サボるとだらだらとそのままサボり続けてしまう…というのが俺にとっては実際のところなわけで、とにかく、習慣の力を味方につけ、まずは毎日書くようにしなくては、と改めておもったのだった。