作品概要・所感
ファッションデザイナーの山本耀司が、自身の半生と、現在の心境について、インタビュー形式で語っている一冊。さらっと読めてしまうけれど、内容的にはしっかり濃密で、彼独特の喋り口調を想像しながら読んでいると、その魅力にやられてしまうこと請け合いである。
とくに好きだった部分を抜き書きしておく。
まず、サラリーマンの着ているスーツの否定から始めました。社会の真ん中を歩いている人たち、あるいはてっぺんにいる人たちの服は作りたくない。そこから外れたからって、人生に失敗しているわけじゃない。テーマとしてはアウトローがいい。 男の服は、女性の服とは違い、着る男たちと自分は仲間という感じで作ってきました。だから楽しい。「悪いことを一緒にしようよ」とか、「世の中のモラルからちょっと外れてみようよ」といった気分です。(p.74)
服で表現したいと思っていることをあえて言葉で表すと、「道徳的な人よりも、不道徳な人のほうがチャーミングだよね」とか、「生きるということは孤独と友達になることだよね」などです。文学的かもしれません。その根底にいつもあるのは、西洋の美学や美意識に対する反論です。でも、ヨーロッパに行き続けていて、結果として西洋のものに融和してしまうこともある。でも、融和を目的としたらおしまいだと思っています。(p.187)
作ったものには、その人のコンディションや生活、考えがすべて出てしまう。まじめな生活をしているだけではだめ。会社と家の往復だけをしているような人はインプットが足りないから、新しいものも出てきにくい。ですから、服作りは限りなくインモラルに近いんですよね。まじめで善良なだけの人間には、人をドキッとさせるような服は作れないと思っています。(p.191)
「まじめな生活をしているだけではだめ」
結局俺は、山本耀司の「不道徳な」ところ、「まじめで善良」ではないところ、文学的で、規範や大勢に対する反発心、怒りがあるところに惹かれているということらしい。彼が語る「悪いことを一緒にしようよ」「世の中のモラルからちょっと外れてみようよ」といった言葉は、社会が求める「正しさ」や「善良さ」の型にはまることへの抵抗への誘いである。そこにあるのは、社会の型にはまった人間からは決して生まれ得ない、「人をドキッとさせる」ものを生み出そうとする意志だ。
先日エントリを書いた下重暁子もそうだけれど、自分なりの価値観や考えを持って、自身で決断していく――それが社会の中心から外れることであるとしても――というのが格好良い大人の姿であるし、やはり大人というのは本来そうあるべきではないかとおもう。「まじめな生活をしているだけではだめ」という山本の言葉は、新しい何かを生み出そうとするのならば、あるいは自分なりの生を生きようとするのならば、避けては通れないことを示しているのではないか。
ちなみに、本書は2013年に出版されたものが、1989年のドキュメンタリー、『都市とモードのビデオノート』で語られていたことと、ほとんど主張は変わっていない。その一貫性、ブレのなさというのもまた、山本の大きな魅力のひとつだと言えるだろう。
