タイトルの通り、山崎ナオコーラが自身の「かわいい夫」について書いたエッセイ。元が新聞の連載だったということで、ほとんどが2、3ページに収まり、強烈に感情を揺さぶることのないような、ほんとうにちょっとした話、になっている。そのあたり、なかなか職人の仕事っぽい印象もあるのだけれど、よくある軽妙洒脱、くすっと笑えておもしろおかしい、といったタイプではまったくなく、全体に温度感低めで、とにかく淡々としているところが特徴的だ。愛する夫のことばかり書いているわりに、少しもきゃぴきゃぴしたところがないのだ。
だいたい、冒頭からしてこんな具合である。
「夫の収入は世間一般に比べるとかなり低い。そして、私の容姿は悪い。私の書くものが自慢話と読まれることはまずないだろう。独身の方にも、安心して読んでいただきたい」(p.11)クールであっさりした書きっぷりというか、普通なかなかここまで書けないでしょ、ってくらいストレートな言い切りっぷりなのだ。
ただ、そんななかに、たまにこんな文章がさらっと納められていて、ぐっときてしまう。
世の中にはもっといい本がある。それでも、私は偶然手にしたこの本を読む。 これは、「たまたま側にいる人を愛す」ということに似ていると思う。 私は昔、結婚というのは、自分にぴったりの、世界で唯一の人を探し出してするものだと思っていた。 しかし、今はそうは思わない。たまたま側にいる人を、自分がどこまで愛せるかだ。 夫が世界一自分に合う人かどうかなんてどうでもいい。ただ、側にいてくれる人を愛し抜きたいだけだ。(p.156) 世界で一番素敵な本なんて読まなくていい。たまたま出会った本を、自分なりの読み方で、深く読み込んでいく方が、ずっと素敵な読書になる。(p.156)何かを選ぼうとするとき、最適解とおもわれるもの、世間で一番良いとされているもの、なんかをつい求めようとしてしまうものだけれど、本当のところ、選ぶものを吟味するということはそれほど重要ではないのではないか、ということだ。なにしろ選択肢は無数にあり、上を目指せばきりがない。それに他人の評価、社会的な物差しなどといった「客観的な指標」が、本当に自分の人生を支えてくれるのかと言えば、さにあらず。
そんなものよりもむしろ、たまたま自分が見つけたもの、出会ったもののなかに、どれだけの良さを見出すことができるのか、そこからどれだけのおもしろさを汲み出すことができるのか、ということの方が、生を満喫し、人生を素敵なものにしていくためにはずっと大事だろう、というわけだ。こういう、クールさのなかに秘められた熱さ、みたいなところが格好いい。