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「芋粥」/芥川龍之介

作品概要・所感

物悲しい話だ。哀れな男が抱くささやかな望み――一度でいいから飽きるほど芋粥を飲んでみたい――が、いともたやすく、かつ、そんなものを希少がるのは馬鹿げていると言わんばかりの形で実現されてしまう。弱い者が自分の世界を大事にしようとしてもそれが叶わない、という悲哀を描いた一編だということになるだろう。

主人公の五位は、ひたすらに情けなくみっともない男、どこまでも受動的で主体性にまったく欠ける人物として描かれている。彼が唯一希望らしきものを持てるのは、ただ芋粥を夢見ているそのときだけなのだ。あるとき、高位の貴族である藤原利仁が、ふとしたことで五位の芋粥に対する異様な憧れに気づく。利仁は、ちょっとした悪戯心からなのか、越前の敦賀にある自身の館まで五位を連れていき、大量の芋粥を振る舞ってみせる。尋常でない量の芋粥に圧倒された五位は、胸がいっぱいになり、ろくに芋粥を食べることすらできなくなってしまう…!

憧れ続けるための欲望

利仁は、五位を気まぐれにからかうつもりはあっても、彼に対して明確な悪意を持っているわけではないように見える。というか、彼はもとより五位のような卑小な存在に対して、さしたる関心も持っていないはずだ。だから、どちらかと言えば――わざわざ五位を一緒に滋賀まで連れて行ってやるくらいなのだから――人が良い、と言ってもいいくらいなのかもしれない。

だが、たとえそれがちょっとした悪戯/ちょっとした厚意であったとしても、五位にとっては、衝撃が大き過ぎたのだった。つまり、端的に言って、利仁は五位にとってはパワフル過ぎ、ワイルド過ぎる存在だったのだ。(利仁は、「この朔北の野人は、生活の方法を二つしか心得ていない。一つは酒を飲む事で、他の一つは笑う事である。(p.40)」と描写される男である。)そのような力あるものに触れられるとき、五位のようにひ弱で繊細な者は、いとも簡単に自身の根幹を崩されてしまうのだ。

自分と利仁との間に、どれ程の懸隔があるか、そんな事は考える暇がない。唯、利仁の意志に、支配される範囲が広いだけに、その意志の中に包容される自分の意志も、それだけ自由が利くやうになった事を、心強く感じるだけである。――阿諛は、恐らく、こう云う時に、最自然に生まれて来るものであろう。(p.47)

別の言い方をすれば、五位にとって、「芋粥を飽きるほど飲んで見たい」という欲望、夢は、叶えるためというより、憧れるためのものだった、ということであったのかもしれない。これは身につまされる話ではないか。夢は叶えるためにあるものだ、と夢を叶えた人は言うだろうし、それに同調する人も多くいるだろう。しかし、憧れるための夢を後生大事に抱え続けている人、そしてそれを五位のようになんともばかばかしい形で失ってしまう人だって、間違いなく、この世界には大勢いるのだ。

そこで芋粥を飽きる程飲んで見たいと云う事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になっていた。勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。いや彼自身さえ、それが、彼の一生を貫いている欲望だとは、明白に意識しなかった事であろう。が事実は、彼がその為に、生きていると云っても、差支ない程であった。――人間は、時として、充されるか、充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。(p.37)