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『フライデー・ブラック』/ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー

1991年生まれ、ガーナ出身の両親を持つ、アフリカ系アメリカ人作家のデビュー短編集。各作品に通底しているのは、黒人差別や人間の醜さに対する怒りと、ブラックユーモア、暴力性、シュールさ、デフォルメ感といったもので、そういった各要素に真新しさがあるわけではない。けれど、それらがこの作家独自の、ドライでキレのよい、スピード感溢れる文体で書かれていくことで、ヘヴィでダークでパンチの効いた一冊に仕上がっている。

何と言っても、冒頭の「ファンケルスティーン5」のインパクトが圧倒的だ。図書館の外にいた5人の黒人の子供たちが、白人男性にチェーンソーで殺害される。「自分の子供に危害を加えられそうな気がした」という白人男性は、裁判の結果、「自衛の範囲内」ということで無罪になる。主人公の青年は、理不尽すぎる事件に憤りを感じつつも、自らの「ブラックネス」をコントロールしながら日々の生活を送っていこうとするのだが、ふとしたきっかけからそのたがが外れ、それまで押さえつけられていた怒りのエナジーが爆発してしまう…!という話。黒人が日常的に受けている差別的な振る舞いと、それがまったく正しく裁かれることがないし、それに対して正しく怒りを表明することすらできない、ということへのフラストレーションと怒りと悲しみとがなんとも生々しくリアルに描かれており、読者は主人公の姿を通して、その感情を擬似的に体験させられることになる。

(この短編は、2012年2月にフロリダで起こった「トレイボン・マーティン射殺事件」ーー地元の自警団を名乗る男ジョージ・ジマーマンが17歳の黒人高校生男子、トレイボン・マーティンを射殺したが、男は十分な取り調べを受けることもなく、後に無罪判決が出されたーーを下敷きにしているとのこと。過激でブラックジョーク的な物語ではあるけれども、しかし、それはジョークでもなんでもなく、まさに現実そのものである、というわけなのだ。)

他の短編については、ややシュールレアリスティックというかSF的とも言えるようなディストピアを舞台にしているもの、そんな世界における家族の愛情を扱っているものが多い。アメリカの現在をあの手この手でデフォルメして描きながらも、物語の登場人物たちが感じる感情は、現実のアメリカに暮らす人たちのそれと相似形を成しているのであろう、というような作品たちになっている。

「お前には、無事でいて欲しい。だから行動をわきまえるんだ」と、ごく幼い頃から父に言われてきた。彼は、筆算を覚えるよりもはるか前に、黒人が取るべき行動を学んだ。「腹が立ったら微笑む。叫びたい時には囁く」これがブラックネスの基本だ。中学生の頃、動物園のギフト・ショップでパンダのぬいぐるみを盗んだと濡れ衣を着せられると、彼は自宅の私道でバギー・ジーンズを燃やした。(p.12 「フィンケルスティーン5<ファイヴ>」)
いつもこの調子ってわけじゃない。今週は、ブラック・フライデーの週末なのだ。平常時なら、誰かが死んだら、少なくとも清掃クルーがシートを持ってくる。去年のブラック・フライデーでは、百二十九人が犠牲になった。
「ブラック・フライデーは、特殊なケースです。顧客サービスと人間どうしの結びつきを大切にする当モールの姿勢に、変わりはありません」
モールの経営陣は、モール全体に向けた覚書の中でそう綴った。スイッチをつけたり消したりするみたいに、人を思いやる心を自在に操作できるかのような言い草だった。(p.175「フライデー・ブラック」)