イギリス文学者、批評家の北村による、批評の入門書。楽しむための方法としての批評、に焦点を当てて、その方法や理論について具体的に例を挙げながら語っている。精読→分析→アウトプット、の順で実際に批評を行うにあたってのヒントが書かれているわけだけれど、全体的に、批評ってそもそもどういうもの?というような初心者向けの内容という感じで、内容は浅め。ある程度批評や批評に関する文章を読んだことがある人にとっては、新味は少なく、まあ簡潔にまとめてある一冊だな、というくらいの感想になってしまうかもしれない。
とはいえ、ちょっと冷静にかんがえてみれば、自分自身が本書で挙げられているような批評の方法をじゅうぶんに使いこなして様々な作品を味わっているのかというとぜんぜんそんなことはない、ということに気づかされるわけで、たとえばこんな文章が俺には刺さった。
学校で読書感想文や絵について「自由にのびのび」やれと言われたことのある人はわりといると思います。しかしながら、少なくとも初心者に対しては「自由にのびのび」は単なる指導の放棄に過ぎません。たまには自由に書くだけでいいものができてくる才人もいますが、ほとんどの人はそうではありません。なんの訓練もせずに文を書いたり、絵を描いたりすると、今まで自分が身につけた思考の型から抜け出せないわりに技術が伴っていないので、他の人と似たり寄ったりの凡庸なものができてしまうのが普通です。(p.157-158) 自分の声を見つけるためには、これまで自分が外の世界にさらされることで無意識に培ってきた思い込みや偏見を一度意識的に剥ぎ取って、知らないものや聞いたこともなかったようなものに触れることで世界を広げる必要があります。これまでに身につけた偏見の檻の中でいくら「自由にのびのび」やっていても、檻から出て自分の個性を発揮する方法は学べません。訓練を伴わない「自由にのびのび」は個性を伸ばす敵なのです。自分は自由に考えられる人間だという思い込みを捨てるところから楽しい批評が始まります。スポーツでも音楽でも、技術向上のためにはとりあえず既存の型を学び、たくさん練習する必要があります。巨人の肩に乗れるくらいの訓練を積んで初めて、新しいものが生まれます。(p.158)
思い込みを捨てること、世界を広げること、既存の型を学んでたくさん練習すること、本当に大事なのってまさにこれだよな、とおもう。どうも歳を取るにつれて、こういうことへの意識が薄れてくるというか、何でもすぐに既視感があるとか新味がないとかおもってしまうようになってきている自分の思考停止状態について、少しく反省したのだった。