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『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』/丸山俊一+NHK「欲望の時代哲学」制作班

NHKの番組の内容を新書化した一冊。1,2章には、マルクス・ガブリエル訪日時の発言や講義(哲学史の概説と、その流れのなかに位置づけられる新実在論の解説)を文字起こししたものが、3章には、ロボット工学科学者の石黒浩との対談が収められている。元がテレビ番組というだけあって、1,2章の内容的はかなり薄めで退屈だったけれど、3章の対談にはそれなりに盛り上がりが感じられた。

石黒が、「日本人は同質性が高く、表現に細心の注意を払わなくてもすぐにアイデアを共有できるという特長があるとおもうが、ドイツ人はどうか?」と尋ねると、ガブリエルは、「ドイツの場合、1871年にはじめてひとつの『ドイツ』という国家になったのであって、それまで『ドイツ人』は存在していなかった、だからドイツ社会というのは実際のところまったく同質性が高くないわけだが、まさにそういった環境こそが、ドイツ人に厳格な論理構造を求めさせることになった」…といったことを語る。

ドイツは概念レベルのみで統一されているのです。(p.184)
日本には天皇が存在していて会うことも可能ですよね。皇居もある。でもドイツには皇帝がいないので、ドイツ観念論主義者は「目に見えない教会」が必要だと言います。ですから私たちには「目に見えない皇帝」があります。その「目に見えない皇帝」こそが哲学なのです。(p.185)

「空気」で何でも伝わる(というか、むしろ同質性をベースにした「空気」でないと何も伝わらない)日本と対比してみることで、ドイツでなぜ論理や哲学や確固とした概念が希求されてきたのか、ということがよくわかるような気がする。

ドイツには第一次世界大戦、第二次世界大戦という大きな失敗があります。歴史を振り返るとき、ドイツ社会では全体として、失敗は「非人間化」のせいだったという見方が定着しています。収容所は非人間化の結果だとね。
ですから、人間とは何かという確固とした概念が必要とされているのです。なぜなら、人間の概念が揺らげば、次に待っているのは、収容所だからです。このような見方が一般的に受け入れられています。(p.174)

このあたりについても、ドイツと日本でははっきりと異なっている。日本では「人間とは何かという確固とした概念」なんてまるで意識されることはないし、第二次大戦の失敗の原因がきちんと突き詰められて一般に共有されることだってないだろう。もともとの同質性の高さゆえに論理や議論が求められないこと、それによって簡単に思考停止の状態に陥ってしまい得るということがいかに危険であるのか、かんがえさせられる。