Show Your Hand!!

本、映画、音楽の感想/レビューなど。

『皆のあらばしり』/乗代雄介

歴史研究部に所属する高校2年生の「ぼく」は、部活の研究で皆川城址を訪れた際、怪しげな中年の男に出会う。こてこての大阪弁がいかにも胡散臭い男だったが、その異様な博識は「ぼく」を否応なしに惹きつけていくのだった。男は、「ぼく」が入手した旧家の蔵書目録を眺め、そこに載っている「皆のあらばしり」という本はこれまでどこにも記録されていないものだ、と言う。もしそれが本当であれば、これはなかなかの大発見ということになる。ふたりは同書を手に入れようと計画を練るのだが…!

ほとんど全編が「ぼく」と男の会話のみで成り立っている本作は、会話劇のような性格を持っている。基本的に、ふたりの会話のおもしろさのみによって物語が牽引されていくのだ。古文書や郷土史が主題になっているだけあって、なかなかややこしい内容を語っていたりもするのだけれど、男の怪しげな饒舌と「ぼく」の冷静なツッコミはどこか漫談のような雰囲気を醸しており、良いグルーヴ感が生み出されているので、ぐんぐん読み進んでいける。

男に不信感を抱いていた「ぼく」が、やがて男に憧れるようになり、認められたい、対等になりたいとおもうようになる、という展開は、爽やかな王道の青春文学のようでもある。それを、地方の旧家に眠る古文書の真贋や郷土史を巡るちょっとしたミステリ、というかなり渋い要素と混ぜ込んでいるあたり、うまいな、と感じた。「皆のあらばしり」探求のなかで、男は「ぼく」をからかったりおちょくったりしつつも、近代史の蘊蓄やら人生訓やらを語ったりもするのだ。

「確かに、そんなことはみな打算的に始めるのかも知らんわ。でもな、今回はたまたま運が良かったけれども、打算っちゅうのは十中八九、空振るもんや。大半の人間はそこでやめてまうから打算に留まるんやで。それを空振りしてなお続けてみんかい。打算でやっとったら割に合わんことばっかりなんやから、そんな考えはすぐに消え失せるわ。積み重なる行為の前には、思考や論理なんてやわなもんやで。損得勘定しかできん初手でやめてまうアホは、そんなことも理解できんと、死ぬまで打算の苦しみの中で生き続けるんやけどなー」(p.60)
「書いたもんはすぐに読んでもらわなもったいないと思うんが大勢の世の中や。ひょろひょろ育った似たり寄ったりの軟弱な花が、自分を切り花にして見せ回って、誰にも貰われんと嘆きながら、いとも簡単に枯れて種も残さんのや。アホやのー。そんな態度で書かれとる時点であかんこともわからず、そんな態度を隠そうっちゅう頭もないわけや。そんな杜撰な自意識とは対極にある『皆のあらばしり』みたいなほんまもんを引っ張り出すんがわしの仕事やねん」(p.112)

ただ、以前に『旅する練習』を読んだときにもおもったのだけれど、小説の最後に「予想外の逆転」みたいなものを持ってくる必要ってあるのだろうか?という疑問は残った。まあ、本作の場合、『旅する練習』と違って元々の物語にミステリ的な要素が強いので、「予想外」みたいなものが出てきても違和感はあまりないのだけれど。こういうトリック的なものが最後に置かれて悪目立ちしてしまうことで、作品全体の印象が変わってしまうというのは、なんだか勿体ないような気もしたのだった。(とくに本作において、このトリックはあまり効果を上げていないように感じられたので、余計にそうおもったのだった。)