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『快楽としての読書 海外篇』/丸谷才一

丸谷才一による海外文学の書評集。書評というと基本的には新刊が対象になるものだけれど、そこは大ベテランの丸谷才一、1960年代から2001年までという長いスパンのあいだに書かれた書評600編ほどのなかから116編が選ばれ、収められている。結果として本書は、いまや古典や名作と言われるような作品ばかりを評した一冊になっており、しかも丸谷の書評はとにかく上手いので――読んだことのある作品なら、なるほどねーそうまとめるかーって感心できるし、読んだことのない作品なら、どうして俺はいままでこの本をスルーしていたのか…すぐにチェックせねば!という気にさせられてしまう――読みたい本リストがどんどん増えていってしまう。なかなかに罪作りな一冊だ。

冒頭の「イギリス書評の藝と風格について」というエッセイで、書評の持つ機能について、丸谷はこう書いている。

しかし紹介とか評価とかよりももつと次元の高い機能もある。それは対象である新刊本をきつかけにして見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくば生きる力を更新することである。つまり批評性。読者は、究極的にはその批評性の有無によつてこの書評者が信用できるかどうかを判断するのだ。この場合一冊の新刊書をひもといて文明の動向を占ひ、一人の著者の資質と力量を判定しながら世界を眺望するといふ、話の構への大きさが要求されるのは当然だらう。(p.30)

「読者は、究極的にはその批評性の有無によつてこの書評者が信用できるかどうかを判断する」というのはまさしくその通りだろう。つまらない本につまらない批評を書いていたら、その書評家が評価されることなどあり得ないし、自分はこの人みたいには読めないな、この人みたいに批評的に読めるようになりたいな、とおもわせてくれる書評家は、それだけでも本を読むための活力を与えてくれる。

その点、丸谷は、英文学をはじめとする西洋文学+日本文学という幅広い視座を持って書評を書いてくれているから、読者としてはその批評性にそれなりに納得しながら読み進めることができるし、なによりその文章が上質であるところが素晴らしい。シンプルでありながらも論理的で内容が濃く、もういくらでも読んでいたくなるようなスマートな文体なのだ。

以下、このまとめは上手いな…!とおもわず膝を打ちたくなった箇所を引用しておく。

レイモンド・カーヴァーの短編について。

スケッチにしかならないはずのものをちやんと小説に仕立ててゐるし、題材から言へばどちらもみな陰気なものなのに、読者の心に最終的に残るのは、人生を鋭利な角度で切り取る作者の姿勢である。しかも、それをわれわれは達者な技工としてではなく、人生といふ厄介な代物と向ひ合ふ作者の向ひ合ひ方の正確な反映として感じてしまふ。既成概念としての誠実さで粗雑に割切つてゐるのではなく、保留をいくつもつけて困つてゐる、その困り抜き方が、過不足なく表現されてゐるからだらう。(p.134)

ミラン・クンデラ『小説の精神』について。

この本は小説家の書いた評論集である。いたる所に自作解説があるし、彼の述べるヨーロッパ小説史は、何のことはない自作の正当化のためのものだ。しかし大切なのは、この宣言ないし自己擁護がつきつけられる対象と彼自身との、緊張した関係である。十九世紀ふうの、写実主義的な、イロニーを失った、叙情的告白文学に対する彼の嫌悪が、華麗な放言と精密な論證とのまぜこぜを、常にしつかりと裏打ちしてゐるのだ。(p.251)