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『月と六ペンス』/サマセット・モーム

月と六ペンス (岩波文庫)

じつはモームの長編ははじめて読んだのだったけれど、いやーむちゃくちゃ面白い小説だった!エンタテインメント的なストーリーのドライブ感を持ちながらも、相当に複雑な人間の像が描き出されており、読書の愉しみを十全に味わせてもらった。

本作は、作家である主人公が、狂気の天才画家とでも呼べそうな男、ストリックランドとの邂逅を回想しつつ、その人間としての実像に迫る、という架空の伝記のような体裁で書かれている。この手法によって、ストリックランドという男の計り知れなさ、底の知れなさ、得体の知れなさがうまく立ち上がってくるようになっているのだ。

ゴーギャンをベースに形成されたというストリックランドの人物像は、俗世間のいっさいを気にかけず、ただただ己のイメージを追求したい、描きたい、という尋常でないほど強い信念を持った、あるいはそんな想念に取り憑かれてしまった男である。彼は自分の求めるものの追求以外には、いっさいの関心を持っていない。だから、その周囲の人間は、彼の原初的でむき出しなエナジーの奔流に吹き飛ばされてしまったり、それに巻き込まれるようにして破滅にまで追い込まれてしまったりもする。だが、ストリックランドはいわば善悪の彼岸にいる人間なのであって、そんな市井の人々のちまちまとした感情の揺れ動きなどといったものにはぴくりとも心を動かされることがないのだ。己の求める絵を描くということ以外は、彼の目にはまったく入ることがない。

「絵を描かなくてはならんと言ってるのが分からんのかね。自分でもどうしようもないのだ。いいかね、人が水に落ちた場合には、泳ぎ方など問題にならんだろうが。自ら這い上がらなけりゃ溺れ死ぬのだ」
彼の声には真実の情熱がこもっていて、僕は我にもあらず魂をゆさぶられた。彼の内部で何か激しい力が苦闘しているように感じられた。とても強力な圧倒的な力であり、彼は自分の意志とは無関係にその力に支配されているように感じられた。(p.94-95)
彼は外からの支配には我慢がならなかったのだと思う。彼にあっては、自分でも分からぬ何者かに向かって、常に彼を駆り立てている不可解な渇望が最優先され、そのため渇望と自分との間に割り込んでくるいかなる物も、心の中から排除することができたのだと、僕は信じる。(p.207-208)

ストリックランドの存命中、世のなかのほとんどの人は、彼の絵を受け入れることができない。ストリックランドはほぼ誰にも理解されることのないまま、ただひとり、己の信じる芸術だけを極限まで追求し続ける。物語のクライマックスで語られる、病によって視力を失った彼が、タヒチの自らの住まいの壁一面に描いたという絵――それは彼の死後まもなく焼却されることになる――はその極みだと言っていいだろう。ほとんど誰にも、芸術家自身にすら見ることの叶わない作品を生み出し、そして破壊すること。そのようなふるまいは、世俗の価値観には、どうしたって噛み合うはずもないのだ。

だが、そんなストリックランドの死後まもなく、世間は彼をあまりにも偉大な天才として評価するようになる。活動するエナジー体としてのストリックランドそのものを評価できる人間は、ごくわずかな例外を除いて存在しなかったわけだが、静的な作品ということになると、人々も安心して評価を下すことができるようになった、とでもいうところだろうか。

人間社会のルールや人間の感情をどこまでも蔑ろにする者は――それほどまでに芸術に魅入られ、あまりにも世俗からかけ離れた価値観のもので生きる者は――ある意味では、人間の外側にはみ出してしまった者、人間をどこか超えてしまった者だということもできるかもしれない。だからこそ、人はストリックランドのような生に、どうしようもなく憧れ、惹かれてしまうのかもしれないし、それでいて、彼がその生命を燃やし尽くした後に、事後的、回顧的な形でしか、そのエナジーに近づいたり、理解しようとすることすらできないのかもしれない。そんな風におもえる。