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『オリバー・ツイスト』/チャールズ・ディケンズ

オリバー・ツイスト〈上〉 (新潮文庫) オリバー・ツイスト〈下〉 (新潮文庫)

本作は、オリバー・ツイストという少年の成長物語ではない。一種の貴種流離譚であり、オリバーの彷徨を利用して社会の低層を描いた作品だと言った方がいいだろう。なかなかの長編ではあるのだけれど、はっきりとオリバーの目線から描かれるパートは前の半分くらいまで。後半分のパートでは、彼の周囲のさまざまなキャラクターたちへと次々に目線を移し替えながら、物語が進行していくことになる。

ディケンズといえば貧者の味方、社会悪の告発者、善き行いによる社会の改善を夢見る作家だと言えるだろう。本作でも、登場人物たちはいずれもディケンズ流のモラルに従って、きわめてわかりやすく類型化されているのだけれど、ディケンズの巧みな描写――というか、執拗な書き込み――によって、彼らにはたしかな生命力が与えられている。

とくに書き込みの熱量が高まっているのは悪玉キャラたちに対してで、フェイギン、サイクス、バンブル氏といった悪党や小悪人の描写には、オリバーやローズ、ブラウンロー氏といった善玉キャラのそれと比べて明らかに力が入っており、なかなか魅力的なものになっている。なかでも、善玉キャラの魂を持ちながらも、サイクスへの愛ゆえに、悪の道から外れることを拒絶する、ナンシーの描写は印象深い。

「わたし、帰りたいのです」とナンシーは云った。「帰らないわけには参りませんの。それというのが――あなたのような清らかな方に、こんなお話なんかできやしませんわ――それというのが、さっきもお話しましたような連中の中に、一人、誰よりも向こうみずな男がいまして、その男から、わたし、離れられないのです。ええ、今のような暮らしから足が洗えても、離れられないのです」(下巻 p.174)
きまった屋根といっては棺の蓋しかない、病気になったり死ぬ時の友だちといっては、慈善病院の看護婦しかないわたしのような女が、どんな男にでも望みをかけ、みじめな暮しをしている間じゅう、ぽっかり心の中にあいている空所を、その男でうずめるとなっては、わたしたちにどんな希望がありましょう。わたしたちを憐れんで下さい、お嬢様――女に残されたたった一つの情を持っていることを、そして、神さまの厳かなお裁きで、慰めと誇りに別れ、かえって虐待と苦しみへと向ったわたしたちを、憐れと思ってくださいまし」(下巻 p.178)

ナンシーのふるまい――サイクスを裏切りながらも、ついには彼のもとへと帰り、悲惨な最期を遂げる――というのは、彼女自身が述べている通り、あまりにも類型的で安っぽいものになってしまっているわけだけれど、そこには、まさにそんな類型であることの悲しみや、そのようにしか生きることができないということの痛みがたしかに映し出されており、それこそが彼女のキャラクターを忘れがたいものにしているようにおもえる。

対して、善玉キャラたちの造形はおしなべて非常に単純で、ディケンズの書き込みを持ってしてもその退屈さを隠し切れていない。そもそも、物語の中心であるはずのオリバーからして、個性が薄く、なんとも魅力に乏しいのだ。(どういうわけか、オリバーをいじめたり陥れたりする、悪玉キャラの子供たちのほうがよほど生き生きとしていて、好感が持てるくらいなのだ。)