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『若きウェルテルの悩み』/ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

  • 作者:ゲーテ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/12/01
  • メディア: 文庫
「日も月も星も依然としてその運行をつづけながら、私にとっては昼もなく夜もなくなり、全世界は身のまわりから姿を没した」などと言い出してしまうくらい、ひとりの美しい少女にすっかり夢中になってしまった青年、ウェルテルの「悩み」を描いた物語。少女の名前はロッテ。ふたりは出会ってまもなく互いに惹かれ合うけれど、ロッテにはすでにアルベルトという許婚者がいた。ウェルテルは、叶わぬ恋とは知りながら、我が身をそこから引き剥がすことができず、ついには自死を選ぶまでに自らを追い詰めていってしまう…!

誰もが多少は身に覚えのあるような三角関係を扱った物語ではあるけれど、本作の特徴は、主題が「悩み」そのものである点だろう。ここには、恋の鞘当て的な駆け引きや、具体的な恋愛をめぐるアクションというのはほとんどない。作品全体の3分の2ほどが「ウェルテルが友人に宛てた手紙」によって占められていることもあって、文章の大半が彼の内面の吐露になっているのだ。

恋愛、それもうまくいっていない恋愛をしているとき、その人の頭のなかでは思考とも呼べないような気持ちや感情がぐるぐるもやもやと渦巻いているものだけれど、ウェルテルが手紙に書き記しているのはまさにそういった類のものたちだ。書くことで、彼の気持ちや感情は文字として固着され、形を持った「悩み」として改めて認識される。そしてまた、その「悩み」について友人と手紙のやり取りを行うことで、いっそう気持ちは高ぶり、さらに「悩み」は深まっていくことになる。

とにかく筆まめなウェルテルのおかげで、本作にはそんな恋愛状態の人間の「悩み」にまつわる内面の揺れ動きがこれでもかと書かれまくっており、その結果、「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」とゲーテ自身が語っているような、普遍性を備えるにまで至っているのだ。

しかし、さすがは1700年代に書かれた古典ということもあり、ウェルテルの「悩み」表現の重厚さといったら凄まじいものがある。

禍いなるかな、私はあまりにもはっきりと感じている、罪はすべて自分にあるということを。――いな、これは罪ではない!ともあれ、一切の悲惨の源はこの自分の中にひそんでいる。ありし日には、すべての喜悦の源がここにあったのではあるけれども。私は同じ私ではないか?かつては充ち溢れる情感の中にただよい、一歩を行くごとに天国がひらけ、わがこころは愛をもて一つの世界を残る隈なく抱擁したではないか?されど、このこころはいまははや死んだ。いかなる感動もそこからは流れいでない。わが双の瞳は乾き、五官も蘇生の涙によって洗われることなく、額は不安もて皺だたんでいる。私はかくも悩んでいる。それというのも、わが生のただ一つの歓喜であったものを失ったからだ。それによって私がわが身をめぐる世界を創造した、あの生を吹きこむ聖い力が消えたからだ!(p.155)

もう想いが溢れ過ぎてしまっていて笑っちゃうくらいなのだけれど、「私はかくも悩んでいる。」という一文が効いている。ここまでものすごく盛り上がっていたウェルテルが、ここで一瞬、自身の滾りまくった内面から離れ、「悩み」に捕らわれた自分をほんの少しだけ客観視しようとしているのだ。こういった、自分を理性的に冷静に見ようとしつつ、でも恋の引力には逆らえず…という感じが、本作のリアリティを形作っているとも言えるだろう。