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『洗礼ダイアリー』/文月悠光

洗礼ダイアリー

洗礼ダイアリー

詩人の文月悠光によるエッセイ集。タイトルの通り、日常のなかで、ささやかな「洗礼」を浴びたエピソードが語られている。

「洗礼」というのは、「社会に入るために経験しなければならないこと」とされているような物事、通過儀礼のようなものだと言ってもいいだろう。幼いころからちょっと「人とズレて」いたという文月は、学校で、職場で、SNSで、家庭で、友人関係で、さまざまな「洗礼」を浴びては、そのたびに動揺したり混乱したりする。各エピソードの中心になっているのは、彼女の感じる違和感、所在なさ、悔しさ、寂しさ、もどかしさ、やりきれなさ、不安、戸惑い、といった感情の揺れ動きで、なんとも不器用で不安定な、自意識が強くて潔癖な、傷つきやすい魂が感じられる。

私は焦っていたのかもしれない。経験の乏しい自分が、青くさい幼虫みたいで不安だった。仕事で恋愛の詩を書き、「すてきだね。きゅんとしたよ」と嬉しい感想をもらう。そのことを誇りに思いながらも、寂しい気持ちが拭えなかった。だって現実の私は、詩になるような「すてき」な恋愛は一つもしていないんだ。「きゅんと」することより、異性を前にオロオロすることの方が多いんだ。そんな詩人、がっかりだよね。(p.64)

私は一刻も早く大人になりたかった。子どもは窮屈な生きものだ。ちょっと口を開いただけで「屁理屈を言うな」「生意気だ」と指をさされる。早く子ども時代を卒業して、一人で何でも決められる大人になろう。この訓練を重ねれば、私は大人になれるはず……。布団のドームは、青虫が立派な成虫になるための繭だったのだ。
けれど、実際はどうだろう。私は未だ繭の外に出られず、顔だけを恐る恐る世間に覗かせている。空想の世界はあまりに居心地がよく、影の薄い「空気みたい」な幼い私を守り続けた。私がはばたくことができるのは、本と原稿用紙の中だけだ。(p.135)

30代の無神経な大人になってしまった自分からすると、10代から20代前半のころの日々などというのは、もはやおぼろげなノスタルジアの霧のなかに霞んでしまっているものであって、そのころの感覚を確かな手触りでもって確かめることなど到底できそうにはない。けれど、若さゆえにブルーにこんがらがった気持ちを、その奥底のところまで覗き込んでは非常に丁寧に言語化してみせている本書を読んでいると、まるで自分が文月のような不安や痛みを感じたことがあったかのような気さえしてきてしまう。文月は自身の内面、自身の弱さや臆病さにつねに真正面から向き合っていて、その姿はなかなかに不格好ではあるのだけれど、でも、まさにそここそが眩しいくらいに格好いいのだ。

私はちょっとしたことで心が折れるし、面倒事からはすぐに逃げ出してしまう。島に穴は掘れないし、詩人のくせに「普通でいたい」と思う軟弱者だ。でも、世のセクハラには抗いたい。「臆病な女の子」を演じてたまるものか。
堂々と言おう。恋人がいてもいなくても、セックスしてもしなくても、詩は書ける。
どんなときでも、飛びきり良い詩を提供できる。今の私には、それが一番まっとうな現実なのだ。(p.40)