Amazon Primeにて。インド映画なのだが、絶世の美女とマッチョなおっさんが歌と踊りで騒ぎまくる極彩色のインド映画とはまったく異なるテイストの、音楽は控えめ、カラーパレットは暗め、カメラワークはゆったり目で間を重視した、かなりヨーロッパ的な、しっとりとして渋めの作品だった。
舞台はムンバイ。主婦のイラは夫の愛情を取り戻そうと、腕によりをかけて4段重ねの豪華お弁当を作り上げる。が、ダッバーワーラー(インドのお弁当配達人)の手違いで、その弁当は早期退職間近の孤独な男やもめ、サージャンのもとに届いてしまう。サージャンは激ウマのお弁当に感動する。夕方、舐めたようにすっかり空っぽになった弁当箱が戻ってきたのを見て喜ぶイラだったが、どうやら夫は彼女の弁当を食べてはいない様子。イラは翌日の弁当に手紙を忍ばせることにするのだが…!
イラとサージャン、それぞれに異なる寂しさを抱えたふたりの人生が、お弁当の誤配送というアクシデントーーダッバーワーラーのシステムには100年以上の歴史があり、1日13万個の弁当を配達しているが、間違える確立は600万個にひとつだというーーによって、ほんのひとときだけ交差する。互いに顔も素性も知らないがゆえに、お弁当に入れた手紙のなかでは、素直に悩みを打ち明けられたり、相手を気遣ったりすることができる。そんなささやかな心の交流が、一度は諦めていた人生に再び活力をもたらし、やがてそれぞれの成長や自立へと向かっていく…というプロセスがとても丁寧に描かれている。派手なストーリー展開はないし、結末はほろ苦さを含んだオープンエンディングという感じなのだけれど、観客にはたしかに希望が感じられる、かなり大人な映画だといえるだろう。
イラのアパートの上階に暮らすおばさん(下の階から漂ってくる匂いだけで料理に足りないスパイスがわかる)、サージャンの後輩の若者(満員電車のなかで、会社の書類をまな板代わりに夕食用の野菜を切る)など、主役のふたり以外のキャラクターもしっかりと立っていてたのしいし、インドの市民の生活描写と、それをしっとりと映し出すカメラも魅力的な作品だった。そしてもちろん、インド料理が無性に食べたくなる映画でもあった。