よく、芸術的なセンスがある、ファッションのセンスがいい、仕事のセンスが優れている、などといった言い方で、「センス」というものが取り沙汰される。大抵の場合、それらの発言には、センスの問題では仕方ない、それは生来のものだから、感覚的なものだから、勉強でどうにかなるものじゃないから…といった諦めのような感情が内包されているものだ。
が、そのようにセンスというものを捉えるのはまったくの誤りである、というのが本書の主張である。まず、水野はセンスを「数値化できない事象のよしあしを判断し、最適化する能力」と定義づける。そして、センスは、生まれ持った才能などといったものではなく、知識量をベースとして自分自身で磨いていくべきスキルなのだ、と言う。センスとは「自分ではどうにもならないもの」ではなく、まさに「自分でどうにかしていくべきもの」なのだ。
だから水野によれば、デザイナーが成果物を作成する際には、単なる思いつきとか感覚とか、なんとなくこれがいいからこうする、といったことは絶対に許されず、必ず他者に説明可能な明確な根拠がなくてはならない、ということになる。デザイナーのバリューとはセンスの良さであるわけだが、それはつまり、知識をもとに意味あるデザインを生み出す能力のことだ。知識をベースにしているのだから、デザイナーは自らのデザインがどのように最適化されたものであるか、言語化できていなくてはならない、というわけだ。
そんなセンスを磨いていくためには、日頃から好奇心を持って大量の情報に触れ、それらを分析していくなかで「普通」という判断基準を持てるようになることが重要だ、と水野は言う。「普通」がわかれば、あるものがそれよりも良いのか悪いのか、高い精度で判断できるだろうし、やがては「普通」よりもよいもの、優れたものを生み出していけるようにもなっていくだろう、ということだ。
前回のエントリで、「自分には写真というやつがいまいちわからないと感じていて…」という話を書いたけれど、これは、「自分には写真を見るセンスがないように感じている」という風に言い換えることもできるだろう。前回は、そう感じる原因として自分の経験、身体知の不足をかんがえていたわけだが、本書によれば、それらを得られていないのは端的に知識不足、勉強不足、センスを磨く努力不足である、ということになるのかもしれない。
書かれていることはものすごくまっとうだし、当たりまえのことといえばまったくその通りなのだけれど――誰でも、自分が専門とする仕事に当てはめてみれば、最適解というのは勘やフィーリングではなく、知識によってこそ導かれるものだ、ということにはおもい当たるふしがあるだろう――ともあれ、センス獲得への道というのはかくも険しいものよ…とおもわされた一冊だった。
- 作者: 水野学
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2014/07/08
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