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本、映画、音楽の感想など。

『読書術』/加藤周一

加藤周一による読書術本。50年ほど前に書かれた本だが、古びていないどころか、最近乱立気味のこの手の本のなかでも、これよりまとまっていたり独創的だったりする本はほとんどないだろう、という印象だった。速く/遅く読む方法、本の選び方、本を読まない方法などなど、読書していると気にかかってくる種々のことについて、一通り取り上げられている。

俺がとくにはっとさせられたのは、以下のところ。

一つの文章から他の文章へ移るのは、多かれ少なかれ、純粋に論理的な秩序にしたがってではなく、いわば経験の秩序にしたがっているからです。「文句の意味はわかるけれども、つまるところ腑に落ちない」というところがあるのは、そういう本についてのことです。(p.193)  

「なぜこの第一印象のあとに、この感想が出てくるか」――それは論理の問題よりも、著者の経験の質の問題です。 経験の質は、けっして言葉によって十分に表すことができません。想像するよりほかはない。想像することができなければ、二つの文章はつながってこないでしょう。(p.196)

ここでは、芸術家や芸術の鑑賞者(小林秀雄とか)による文章を例に説明がなされているのだけれど、文章というのはある程度、「経験の秩序にしたがって」書かれており、その「経験の質は言葉で十分に表せない」というのはたしかにその通りだな、と得心したのだった。

加藤が言っているのは、本人が経験したことのないことは表現されても理解できないとか想像できないとか、そういうことではない。そうではなくて、文章というのは、書き手の肉体を通して生み出されるものであるがゆえに、必ず書き手の経験――それは身体性といってもいいかもしれない――が反映されており、ある文章を読んで「腑に落ちる」ためには、その文章の出力もとのところに存在しているであろう経験、身体性といったものを自分のなかに取り込むというか、自分のなかの近い要素に引き寄せて感じるというか、そういうことが必要になってくるだろう、ということだ。そして、芸術作品というのは、ある人の経験、身体性が突出することによってこそ創り出されるものであるはずなのだから、その「経験の秩序」を想像だけで自分の方に近づけるというのは、なかなか困難なことであるだろう…ということだ。

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自分の場合、写真にまつわる文章というのが、まさに「文句の意味はわかるけれども、つまるところ腑に落ちない」ものだったようにおもう。昔から、写真の見方というやつがどうもよくわからない…と感じていて、それで写真論やら写真家の書いたエッセイやら評論やらを結構たくさん読んできてはみたものの、正直、ピンとくるものをほとんど見つけられなかったのだ。でもそれは、加藤の論からすれば、読んだ本がいまいちだったとか俺の読み方が下手くそ過ぎたというよりは、俺に写真家の経験、身体感覚、身体知などといったものが欠けていたことが原因だ、とかんがえることができるのかもしれない。写真家たちの「経験の秩序」にしたがって書かれた文章は、自分の持っている「経験の秩序」とまったくフィットしなかったがゆえに、いくら読んでも納得感が得られなかった、というわけだ。

そういえば、いままで読んだなかで、個人的に「腑に落ちた」写真に関する本はというと、富岡多恵子の『写真の時代』くらいだったようにおもう。それはあるいは、彼女が写真の素人の秩序で、文芸評論家や小説家の秩序で本を書いていたから、であるのかもしれない。

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

写真の時代 (1979年)

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