- 作者: デヴィッド・L.ユーリン,David L. Ulin,井上里
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2012/02/01
- メディア: 単行本
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数年前のあるとき――いつだったか、正確には覚えていないが――、腰を落ち着けて本を読むのが難しくなってきたことに気づいた。わたしのように本を読むのが仕事の人間にとっては、じつにまずい。それどころか、本を読むことが人生そのものだったわたしにとって、事態はまずいどころか深刻だった。文学を発見したその瞬間から、わたしは自分の周りに本の山を築いて生きてきた。あらゆる部屋、オフィス、アパートの壁やテーブル、そのほか空いている面という面を、書物のインクのにおいで覆ってきた。文学を発見した瞬間から?いや、それより前、読書家という自覚さえない頃から、本は空気のように欠かせない存在だった。(p.17)
どんなものが人間の心に強い印象を残せるのか。わたしたちの文化の中では、情報やさまざまなアイデアにふいに火がついては、じっくり吟味する間もなく、それらは次のものに取って替わられていく。読書なんていつまで人間の想像力に影響を与えることができるのだろうか。いや、こんな質問にそもそも意味があるのだろうか。(p.14,15)
こういう文章には、いやーほんとそうなんだよね、っておもわずうなずいてしまう。俺は本を読むのが仕事の人間ではないけれど、ユーリン氏の書いていることはすごくよくわかる気がする。10代の頃からずっと本に頼ってきて、読むって行為に対してはいつも純粋なヨロコビを感じていたはずなのに、いつからか、本を読んでいても、こんなことをして何になる?もっと他にやるべきことがあるんじゃないの?ってことばかりかんがえるようになってしまっていて。もう最近では、「読書をやめない理由」を探す方が難しいんじゃないか、とかおもったりもするくらいなのだ。
まあそれは、単に集中力が低下している、ってだけのことなのかもしれないし、手持ち無沙汰な時間がなくなった、ってことなのかもしれない。それに、働くようになって、"実用的"、"実際的"、"経済的"でないとおもわれるものごとに対しての評価が厳しくなってしまったのかもしれない。なにしろ、読書というやつは、お金も場所も大して必要としない代わりに、時間というリソースだけはものすごく大量に要求してくるのだ。
っていう、俺が読書に熱心でなくなった理由(そして、世の中の多くの人が読書に熱心でない理由)については延々と書くことができてしまいそうなのだけれど、そういう人を効果的に批判したり説得したりできるような論理がこの本で提示されているわけでは、とくにない。ここに書かれているのは、ただ、ユーリン氏にとって読書(というか文学)がどのような存在であるのか、ユーリン氏が読書(文学)という行為に何を見出しているのか、という、ごく個人的な意見の表明に過ぎないものだし、おまけにそれはとくに新しさを感じさせるような意見でもない。凡庸、と言ってもいいくらいかもしれない。いくつか引用してみる。
本を読むということは、その本を所有するということだ。わたしたちは、ひっそりと待ち構えている言葉たちに命を吹きこむ。いっぽう、本も読者を所有する。考えや意見を差し出してきてはわたしたちの頭をいっぱいにし、あなたの一部にしてくださいと呼びかけてくる。(p.25,26)
わたしが考えている文学とは、純粋な表現のための声であり、闇の中の叫びだ。無益であるからこそ、文学は気高い。そこからは何も生まれず、だれも救われない。だが、文学は読むに値する。(p.36)
わたしたちが世の中と隔絶することは決してないし、接触せずにいることも決してない。にもかかわらず、読書とはその性質上、ここではない場所へ移動するための、今という状態から離れ、異なる人生の網目の中へ入りこんでいくための戦略的行為なのだ。(p.191)
わたしたちが物事に向き合わないことを何より望んでいるこの社会において、読書とは没頭することなのだ。読書はもっとも深いレベルでわたしたちを結びつける。それは早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら一瞬のうちに情報が手に入るこの文化の中で、読書をするには自分のペースで進むことが求められるからだ。時間をかけて本を読むというこの考えは、いったい何を意味しているのだろう?もっとも根本的には、それによってわたしたちはふたたび時間と向き合う、ということだ。読書の最中には、わたしたちは辛抱強くならざるを得ない。ひとつひとつのことを読むたびに受け入れ、物語に身をゆだねるのだ。(p.192)
まあ、言っていることはよくわかるし、読書(文学)を愛する気持ちについても共感はできる。でも、ここに説得力があるか、って言われても、うーん、という気がしてしまう。もちろん、本書にはこんな問題と結論だけがいきなり書かれている訳ではなく、それらを肉づけする著者の個人的なエピソードやら思索やらがいろいろと集められてはいるのだけど、それでもやっぱり、読書の擁護、読書の価値のアピールという面からすれば、いまいちパンチに欠ける感は否めないようにおもえてしまって。
…とはいえ、結局、こういう、人を駆り立てるものとか、人が何かを為そうとする理由とかって、その本人にしかよくわからないものなんだろうなー、という気はする。そしてそれはきっと、本人がわかっていれば、本人が確信することさえできれば、それでもう十分なものなんだろう。他人を無理やり説得したり納得させたりする必要なんてべつにないし、むしろ、そんな簡単に他人に伝えられるような、誰にとっても自明な価値を持っているようなものじゃないんだろう。この本を読んでいて感じられたのは、"理由"の明快さというより、そういう信仰にも似た力強さみたいなものの方で、俺も、自分自身の、読書をやめない理由、をちゃんとキープし続けなくちゃいけないな…なんておもわされたりしたのだった。