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『クラバート』/オトフリート・プロイスラー

クラバート(上) (偕成社文庫4059) クラバート(下) (偕成社文庫4060)
18世紀ドイツ、ポーランド辺りを舞台にしたファンタジー。1971年発表の作品だから、いわゆるファンタジー小説の黎明期に書かれた、古典というやつだ。家を持たず、放浪の生活を送っていた少年、クラバートは、ある日夢のなかで聞こえてきた声に導かれるようにして、人里はなれた水車場を訪れる。そこにいたのは魔法の力をもった親方と、その下で働く11人の職人たちだった。クラバートは職人見習いとなり、水車場で働きつつ魔法を教わるようになるのだが、時が経つにつれ水車場のシステムに疑問を抱くようになり…!というのがストーリーの導入部で、まあ、その先の展開にも予想外のところはほとんどない。

ただ、かなり、というか、ちょっと他にはないくらいしぶい作風で、そこがこの小説独特の魅力になっている。いろんなファンタジーを読んできた大人が読んでも、十分たのしめる小説だとおもう。というか、小学生とかが読むにはちょっとしぶ過ぎるかも、っておもったくらい。表紙もしぶいしね。

何がしぶいかっていうと、まず文章がしぶいし、物語の展開がしぶい。ケレン味が少ない、って言えばいいのかな、とにかく最近世間で量産されているファンタジーみたいな派手さは全くない。描かれるテーマは、生への欲望というか、生の意味を問い直すような、まあありがちなやつなんだけど、それが余計な装飾を廃した文体で書かれていて、そのシンプルさがなんだか感動を誘う。舞台になっているドイツとかポーランドとかチェコとか、その辺の国のイメージ(東欧的、なんて言われそうな薄暗さや寒々しさ、それと無骨な感じ)にぴったりな文体におもえた。

物語がクライマックスに近づくにつれ、文章のシンプルさ、語りの朴訥とした感じが効果的になっていくのだけど、例えばこんなところ。

「ことはあきらかだ」と、ユーローは言った。「輪の助けがあれば、いずれにしろおまえのほうが親方より優勢だよ。」
「でも、どうしてそうなるんだろう?」と、クラバートはたずねた。「あの娘に魔法が使えると思うかい?」
「おれたちの魔法とはちがう魔法だな」と、ユーローは言った。「苦労して習得しなければならない種類の魔法がある。それが『魔法典』に書いてある魔法だ、記号につぐ記号、呪文につぐ呪文で習得してゆく。それからもうひとつ、心の奥底からはぐくまれる魔法がある。愛する人にたいする心配からうまれる魔法だ。なかなか理解しがたいことだってことはおれにもわかる。――でも、おまえはそれを信頼すべきだよ、クラバート。」(下巻p.191)

こういうのって、ファンタジー小説では定番だろう。つまり、愛こそ真の魔法である、っていうようなことを発見するシーンな訳だけど、『クラバート』におけるそれは、こんな風にとてもあっさりと、必要最低限の言葉で描かれている。いや、もちろん、この部分だけを取り出してみたところでぜんぜん感動的でも何でもないんだけど、小説全体がこういう抑制された筆致で描かれていることで、無骨ながらも強い意志を持った物語というような印象を強くしている。地味なんだけど、盛り上げすぎないことでかえって切実さが染み出してくる、っていうか。その感覚はとても魅力的で、こういうところにファンタジー小説の古典としての強度があるのかもなー、なんてかんがえたりした。