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『囚人のジレンマ』/リチャード・パワーズ

囚人のジレンマ
アメリカ人作家、リチャード・パワーズが1988年に出した第2作。デビュー作の『舞踏会へ向かう三人の農夫』と同様に長大かつ複雑な小説で、やっぱりむちゃくちゃおもしろい。ひとことで内容やプロットを説明できないところ、ややこしいことば遊びや謎かけを次々に繰り出してくるところ、ミクロな物語とマクロな物語とが相互にリンクし、自在に結びつけられていく構造なんかも相変わらずだ。真の意味でボリューム感のある小説、って言っていいとおもう。

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『囚人のジレンマ』は、3種類の叙述によって構成されている。ひとつは、リアリズム風に描かれた現代アメリカにおける、ホブソン家の物語。一家の父であるエディ・ホブソン・シニアはどうにも捉えどころのない人物で、口にするのは冗談なのか本気なのかよくわからない(というか、同時にその両方であるような)警句や格言、ややこしい議論についてのテーマばかり。エディにひたすら振り回され続ける妻と4人の子供たちにも、そしてもちろん読者にも、彼をはっきりと捕捉することは、彼の真意を捉えることはできない。

ふたつめは、「なぞなぞ」、「主要時制」といったタイトルのつけられた、断片的かつ詩的な叙述。ここでは、「父さん」や「エディ・ホブソン」と呼ばれる人物が何者かの一人称によって回想されているのだけれど、それがリアリズムっぽいひとつめの物語のエディと厳密に同一人物のことを指す、って言い切れるわけではない。

そしてみっつめが、「ホブズタウン 一九三九年」というように年号がタイトルになっている章で、ここでは匿名の三人称によって第2次大戦中のアメリカを舞台に、史実のなかに作者の捏造が自在に織り込まれた物語が展開される。

これら3つの叙述がさまざまな形で絡まり合いながら、しかし完全に重なり合うことは決してなく、小説はじりじりと進んでいく。何事にも決まりきった解答、確固とした枠組みや一望俯瞰できる視点は与えられず、代わりに次々と提示されるメタフィクション的な要素が読者の混乱を誘う。でも、だからといって読みにくいってことはなく、むしろ物語ははっきりと推進力を持っている。

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複雑な構成のなかで何度も反芻されるのが、小説自体のタイトルでもある“囚人のジレンマ”の問題だ。「1950年代、アカの疑いをかけられたふたりの男がマッカーシー上院議員の前に呼び出される。どちらかひとりが相手の罪を密告すれば、密告者は釈放、相手は死刑になる。どちらも密告しなければふたりとも懲役2年だが、ふたりとも密告した場合は両者ともに懲役10年。こんな条件を提示されたとき、(もちろんふたりで相談することは許されない)どのような選択が最も得策と言えるだろうか??」

このテーマが、3つのナラティヴのなかで、家族間の問題から国際政治、果ては世界史に至るまで、あらゆるものを貫いている。互いに相手の先を読もう読もうとしながらも、まさにそれを理由に互いに身動きがとれなくなっていく、そんな“囚人のジレンマ”によって世界はがんじがらめになっているのだ。

そんな小説世界を照らし出すのが、この小説のエピグラフに主人公ジョージ・ベイリーの台詞が掲げられている映画、『素晴らしき哉、人生!』のプロットだ。小説内のさまざまなエピソードは、おしなべてこのプロットの変奏によって骨組みを与えられている。『素晴らしき哉、人生!』で、自殺しようとする主人公のジョージ・ベイリーに天使のクラレンスが示してみせたのは、自分の人生の全体像をくっきりと眺められるような場所だった。そうして明らかにされるのは、個人が他の個人の生に対して確実に与えている影響であり、その重みともいうべきものだ。

「私たちはおとぎ話を語るんだ。きみの人生を書きなおして、もう一度、一から紡ぎ出すのさ」/
「別の次元からの生き物が現れて、きみ一人では思いもよらなかったものを見せてくれるんだ。きみがいる位置を、きみが生んでいる違いを」(p.320)

それはつまり(映画を見るとよくわかるのだけど)、ファンタジーの、物語の効用、というものだ、と言えるかもしれない。ジョージ・ベイリーにとってのクラレンスとは、エディ・ホブソンにとってのミッキー・マウスであり、また、4人の子供たちにとっては、エディ・ホブソンの語るホブズタウンの物語がそれに当たる。そしてそういった関係は、読者と『囚人のジレンマ』という小説そのものの関係にも当てはめることができるだろう。

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次々と語られるミクロな物語たちは、ひとつ残らずマクロの物語と有機的に結びつき、その繋がりはさながら交響曲のように、シンプルな主題をさまざまな形で変奏しながら描き出していく。そこにあるのは、

世界は無数の人間ではない。一人、一人、一人、その足し算である。それら一人ひとりが放棄しはじめるまでは、袋小路にはならないのだ。そして、もし彼らが、ほかの人たちとの善意とつながりを保つなら、放棄する必要も生じはしない。/
「一人の人生、きみの人生が、それに触れる人生すべてをいかに変えるかを示すんだ。見た目にしたがってではなく、信頼にしたがって歩むかぎり、ゲームをつづける価値があるってことを証明するんだ」(p.320)

というようなヒューマニズムであり、個人と世界とはたしかに結びついている、って信念でもある。そしてもちろん、それを可能にしているのは“囚人のジレンマ”からの脱却を図るパワーズの圧倒的な想像力であり、エナジーに他ならない。物語の収束は周到すぎるほどに見事だし、知的でパズルのような小説であるには違いのだけれど、パワーズの筆致はどこかあたたかく、やさしい。そしてなにより、熱い。