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『消え失せた密画』/エーリヒ・ケストナー

消え失せた密画 (創元推理文庫 508-1)

消え失せた密画 (創元推理文庫 508-1)

児童文学の巨匠というイメージのケストナーだけれど、大人向けの作品もいくつか書いている。『消え失せた密画』はそのうちのひとつで、ユーモア溢れる犯罪小説…といっても、残酷なところや邪悪なところはもう本当に1ミリもない、ほっこりキュートな物語である。

物語の主人公は、繰り返される単調な毎日に嫌気が差してしまった肉屋の親方、キュルツ氏。家族をベルリンに残し、ひとりコペンハーゲンに観光にやって来た彼だが、ふとしたことから超高価な密画の盗難事件に巻き込まれてしまう。そうして状況に流されるがままに、密画蒐集家の美人秘書やおバカな窃盗団たち、ミステリアスな美青年などといった面々と、騙し騙されの密画争奪戦を繰り広げることになるのだが…!

本作のいちばんの魅力は、やはりキュルツ氏のキャラクターだろう。巨漢で酒豪、そして超正直者で人が良すぎるおっちゃんなのだけれど、しゃべり方もこんな感じなのだ。

「いらっしゃいませ。何を召し上がりますか?」
客はけげんそうに給仕を見上げて、
「ピルスナーの大ジョッキを一杯たのんだんだがなあ。わからなんだら、この次は支配人をよこすんだな。それとも願書を書いて出したほうがええですかな?」
「ピルスナーですか、かしこまりました!」
「それから何か食うものがほしいんだがな。お手数でなかったら、冷肉の盛りあわせを一皿たのみます。ちいさい皿でいいんだぜ。いろんなソーセージを盛りあわせたやつをな。わっしゃあ稼業柄、デンマークのソーセージに興味を持っとるだ。わっしゃあベルリンで肉屋をやっとるでね」
給仕は思ったことを口に出さなかった。そのかわりにお辞儀をして行ってしまった。(p.10-11)

「ちいさい皿でいいんだぜ」とか「わっしゃあ」とかいう独特の訳がもうとにかく素敵過ぎる。

本作も、『飛ぶ教室』と同じように、ナチス政権下のドイツで書かれたのだったけれど、やはり国内での出版は許されず、1935年にスイスで出版されている。そのような事情もあってなのか、作中には政治・思想的な要素やアイロニックな語り口はほとんど皆無となり、ほのぼのとして明るい、古き良き時代のどたばた喜劇、というムードが徹底されている。ケストナーの児童文学の作品群と同じように(あるいはそれ以上に)、とにかく陽性の物語になっているのだ。

とにかく軽やかでユーモラスな作風は、ちょっとロアルド・ダールみたいでもある。Amazonのレビューには、「ジブリで映像化したら良さそう!」と書かれていたけど、まさしくそんな感じの小説だ。