- 作者: スタンダール,小林正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1957/02/27
- メディア: 文庫
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『赤と黒』で描かれているのは、極度に利己主義的でプライドが高く、と同時に、異様に強い猜疑心と劣等感の持ち主でもあるという主人公のジュリヤンが、その野心と自尊心の満足を極めていく過程でうっかり恋に落ちてしまったりしつつも、最終的にはやはり自らの性質ゆえに命を失うことになる…という一連の物語である。
作品の舞台は1830年より少し前のフランス、7月革命の起こる前で、王党派による反動政治の時代だ。この、貴族と僧侶の時代においては、どこまでも洗練されていること、すなわち「相手の期待していることの裏をかけ」、「常識はずれも気取りのまねもいけない」というのが社交界で影響を持ち続けるための唯一絶対のルールであった。
ジュリヤンは木こりの倅であるから、そんな洗練とはまったくの無縁、おまけに、「きみに言葉をかけても、きみが喜びはしないということは、はたの目にもわかる」と言われてしまうような性格をしているので、運良く貴族たちの世界に潜り込むことができても、はじめのうちはなかなかうまくふるまうことができない。だが、貴族の女を口説き落としていこうとする過程で、その「腹のなかとは似てもつかない冷ややかな顔」や「自分を抑えることのできる」能力を活かしていく術を徐々に身につけていくことになる。その辺りのじりじりとした心理描写の細やかさこそが、本作のおもしろさだと言えるだろう。
たとえば、ジュリヤンが自分自身に、「レーナル夫人の手をにぎる」というミッションを課す決心をするシーン。
身振りをした拍子に、ジュリヤンはふとレーナル夫人の手にさわった。庭に出してあるペンキ塗りの木の椅子の背にのせていたのだ。 その手はすばやくひっこめられた。だが、ジュリヤンは、さわったとき、ひっこめさせないようにするのが、自分の義務だと思った。義務は果たされなければならないし、それができなければ笑いものになる、というより劣等感におそわれると思うと、たちまち喜びもなにも心から消えうせた。(上巻 p.80,81)
また、その後、レーナル夫人の手をしっかりとにぎることに成功したジュリヤンは、こんな風にかんがえたりもする。
翌朝は五時に起された。レーナル夫人が知ったらひどいひとだと思ったろうが、ジュリヤンはろくろく夫人のことなど考えもしなかった、自分の義務を、しかも英雄的な義務を果したのだ。そう思うと、あふれるほどの幸福感におそわれ、部屋に鍵をかけて閉じこもり、興味を新たにして崇拝する英雄の武勲の話に読み耽った。 昼食の鐘が鳴ったときも、ナポレオンの遠征の戦報に読み耽っていて、昨日おさめた勝利のことはすっかり忘れていた。サロンへおりていきながら、浮いた気持で、《愛していると、あの女にいってやらなくてはなるまい》とつぶやいた。(上巻 p.85,86)
あるいは、マチルドを落とすための方策がわかったぞ、と確信を得るシーン。
ジュリヤンは、夢中で、ナポレオンの『セント=ヘレナで口述された回想録』を開くと、たっぷり二時間のあいだ、読もうと努力した。ただ字が目にはいるだけだったが、それでもかまわず、がむしゃらに読んだ。この奇妙な読書のあいだに、頭と心が興奮してきて、なにか壮大きわまる事件の渦中にあるような状態で、知らず知らずのうちに働き出していた。《あの女の心はレーナル夫人のとはだいぶ違う》だが、それ以上考えは進まなかった。 《相手を恐れさせよ》と、ジュリヤンは急に本を遠くへ投げ出して叫んだ。《恐れさせているかぎり、敵はおれに服従する。そのあいだはおれを軽蔑したりしないだろう》 うれしさに感きわまって、ジュリヤンは、小さな部屋の中を歩きまわった。ほんとうをいえば、それは恋の幸福というよりも、自尊心の満足のためだった。 《相手を恐れさせよ!》ジュリヤンは得意になってくり返したが、得意になるのももっともだった。《どんなにうれしいときでも、レーナル夫人は、おれの愛情が自分のよりすくないのじゃないかと心配していた。だが、こんどの場合は、おれの征服しようとしているのは悪魔だ。だから征服しなくてはならない。》(下巻 p.392,393)
これらのシーンからも明らかなように、ジュリヤンは野心剥き出しでエゴイスティック、打算的なところだらけの青年である。だが、それと同時に、彼は極めて高いプライドを持っており、それを傷つけられることにどうしても耐えられない、というピュアで直情的な性格を持ち合わせている人物でもある。ある意味では、潔癖な理想主義者だと言うこともできるだろう。だいたい、上記のようなシーンではかろうじて周到にふるまえているけれど、恋の熱に浮かされて、おかしな行動をとってしまう場面だって決して少なくはないのだ。まあ、そのようなアンバランスさこそが、レーナル夫人やマチルドを惹きつける要因にもなり、そしてまた、彼自身の身を滅ぼす元にもなってしまう…という訳だ。
そんなジュリヤンにとって、生きることというのは、自らのエゴやプライドを決して裏切らないようにその時々の選択を行い続けていく、ということだったと言えるだろう。ジュリヤンを駆り立てているものは常に一貫しており、だから、彼がレーナル夫人をピストルで撃つことと、その後に彼女への想いを募らせて汲々としたりすることのあいだには何の矛盾もなく、また、その結果、自分が死刑となるに及んだところでまるで後悔することがないというのも、とくに不可解なことではないのだ。
そういう意味では、ジュリヤンにとって、出世や恋の成就といったものはあくまでも副次的なものであったのかもしれない。彼を突き動かす最も重要な動機というのは、彼の英雄願望、彼の自尊心の充足、彼の上昇志向の満足といったものなのだ。もちろん、出世や恋が彼にとって重要でないというわけではない。それらは彼の志向を満足させるための具体的なターゲットであって、もしそれらがなければ、彼は自分の有り余るエネルギー――それは自分の勇気を試してみたいという野心であり、冒険心である――を持て余すことしかできなかっただろうからだ。