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「駅長」/アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン

(037)駅 (百年文庫)

(037)駅 (百年文庫)

  • 作者: ヨーゼフ・ロート,戸板康二,プーシキン
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2010/10/12
  • メディア: 文庫
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またまた『貧しき人びと』関連のエントリになるけど、こちらは、「外套」とは違って、マカールが気に入った方の作品。ロシアのとある県の駅長にまつわる、小さな物語だ。

駅長といっても、プーシキンの生きた19世紀初頭の駅なので、鉄道ではなくて、馬の駅、乗りつけ場といったもののことだ。そんなところの駅長には、もちろん『きかんしゃトーマス』の駅長みたいな威厳や権限は備わってはいない。「概しておとなしい、生まれつき世話ずきな、人づきのいい、別にお高くとまったところもなければ、金銭欲もさして強くない」、まあ言ってみれば小役人、ごくごく気弱な人物なのである。そんな駅長には、ドゥーニャという利発で可愛らしい、「どんな旅の方でも、あれを褒めない人はありません」、「どんなにぷりぷりしてらっしゃる旦那でも、あれが出るとお静まりになって、私にも優しい口をきいてくださる」、っていう、まあよくできた娘がいたのだったけれど、ある日、彼女は旅の士官に連れ去られていってしまう。必死で娘の後を追いかけ、どうにか行き先を掴んだ駅長だったが、もはや彼女は士官のもとでいままでよりずっと豊かで幸せな暮らしをしているようなのだった。悲しみに打ちひしがれた駅長は、やがて酒に溺れて死んでしまうことに…!

というわけで、これは、駅長の悲哀を描いた作品ではあるのはもちろんだけれど、では、娘の方はどうだろう?娘にとってもこの一連のできごとは、外部から不意に訪れ、自分の人生をむちゃくちゃにしてしまった悲劇だったのだろうか??…ということについては、かんがえるまでもない。なにしろ、本作にはドゥーニャの気持ちを推し量るためのわかりやすいヒントがいくつも散りばめられているのだ。

駅馬券によって彼は、騎兵大尉のミンスキイがスモレンスクからペテルブルグへ行く途中だったことを知っていた。彼を乗せて行った御者の言葉によると、ドゥーニャは途々ずっと泣きどおしだったけれど、そのくせ自分から好き好んで乗って行くような様子だったそうである。『まあたぶんおれは』と駅長は考えるのだった、『うちの迷える子羊を連れもどせることになるだろうよ。』(p.129,130)

みごとに飾りつけられた部屋のなかに、ミンスキイが思い沈んだ様子ですわっていた。ドゥーニャは流行の粋をつくした装いで、さながらイギリス鞍に横乗りになった乗馬夫人のような姿勢をして、男の椅子の腕木に腰をかけている。彼女は優しい眸をミンスキイに注ぎながら、男の黒い捲毛を自分のきらきら光る指に巻きつけている。かわいそうな駅長よ!彼には、わが娘がこれほど美しく見えたことはかつてないのだった。彼は思わずうっとりと見とれていた。(p.136)

「きれいな奥さんだったよ」と男の子は答えた、「六頭立ての箱馬車で、小っちゃな坊っちゃん三人と、乳母と、真黒な狆を連れてやって来たっけが、駅長さんが死んだと聞くと、泣き出しちゃってね、坊っちゃんたちに『おとなにしてるんですよ、お母さんはお墓参りをして来るから』って行ったよ。俺らが案内してやろうというと、奥さんは『いいのよ、道は知ってるから』って言ったっけ。そいで俺らに五コペイカ銀貨をくれたっけが。……ほんとにいい奥さんだったよ!」(p.142)

『貧しき人びと』のワルワーラがどこまで実際的・打算的だったかというのはなかなか微妙なところだけれど、少なくとも、本作のドゥーニャはなかなか現実をしっかりと見すえるタイプだった、くらいのことは言っていいだろう。こんな風に関連作品をいろいろと読んでいくと、それなりに発見があったりするもので、結構おもしろい。