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『ことばと思考』/今井むつみ

ことばと思考 (岩波新書)

人間の言語と認識との間にある関係性についての最もよく知られた言説のひとつに、いわゆる「サビア=ウォーフ仮説」というものがある。これは、すごくざっくり言ってしまうと、「人間にとって、言語こそがその世界を分節し、整理し、秩序立てるものである。それゆえ、人の認識や思考というのは、その人の用いる言語によって規定されることになる」というような主張だ。この仮説によれば、ある人の思考のカテゴリはその人の母語におけるカテゴリ分類と相似形を描いているということになるし、ある種の言語の間には「埋めることのできない、比較不可能な(incommensurable)」溝、非常に大きな断絶があるということになる。

本書の前半で行なわれているのは、このような言語的相対論についての、心理学的な見地からの検証である。今井は、言語が人間の日常的な認識や思考にどのように関わり、どのような働きをしているのか――色、モノ、空間、時間などの認識は、言語によってどのように異なり、また、どのように共通しているのか――について、細かく例を挙げて説明していく。(たとえば、言語的な性は生物学的な性の認識に影響を与えることがある、ということや、名詞の可算/不可算はモノの認識の仕方を変えることがある、などといった実験結果が取り上げられている。)

そうして導かれることになる結論は、やはり「異なる言語の話者は、その人が用いる言語によって認識の仕方を異にしている」けれど、それは、「サピア=ウォーフ仮説が主張するほど広範囲に及ぶ本質的なものというわけではなく、言語による世界の切り分け方がどうであれ、人の知覚メカニズムや概念理解、そして言語そのものにも、ある一定の普遍的な秩序のようなものが存在しているようにおもわれる」といったところになるようだ。

また、本書の後半では、発達心理学の観点から、言語の学習が子供の認識や思考にどのような変化を与えるのか、という内容が扱われる。子供は言語を学ぶことによってコミュニケーションの手段を得るというだけでなく、それまでとは違った認識を得る手段、思考の手段を身につけることになる、という話だ。ここでは、空間関係を相対的に表す能力や、4以上の数を数える能力といったものは、言語の学習によってはじめて得られるようになる、といった例が挙げられている。(言語を持つ前の赤ちゃんは、言語を得るまでは、前/後/左/右などといった、相関的な位置関係という概念を認識していない。また、生後5ヶ月の赤ちゃんは3以下の小さい数を数えることができる、ということが明らかになっているが、それ以上の数については、言語を得るまでは単に「大まかな量」として認識しているだけである。)これらの概念の学習難易度というのは、そのカテゴリによってまちまちである、と今井は述べている。

まあそういったわけで、「異なる言語の間にも、ある一般的な傾向というものは確かに存在しており、それは人間の認識や知性の普遍性を表すものだと言うことができる。が、人間の認識プロセス、思考プロセスの多くは言語に拠るところが大きく、それを完全に無視してしまうことはできない」…といったあたりが今井の主張だということになるだろう。「サピア=ウォーフ仮説」的な言説についての是非、という意味合いからすると、いまいちぱきっとしない、どっちつかずの結論という感じがしなくもないけれど、そもそもこれははっきりと割り切れるような問題ではない、とする立場だというわけだ。言語的相対論を根拠にして、「異言語の話者とは本質的に異なっているのだから、互いのことを理解できるはずがない」と主張する者は、まさにその信念にもとづいてふるまうために、相互理解の可能性を自らかき消してしまうことがあるだろうし、かといって「思考と言語はまったく独立しており、何の相関性もない」としてしまうのは、心理学的な観点からするとあまりに乱暴だ、というようなところだろうか。

ともあれ、細かな実験の方法やそれによる成果がいろいろと挙げられていて、へえーへえーと感心しながら読み進めることのできる、たのしい一冊だった。