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『ワールズ・エンド(世界の果て)』/ポール・セロー

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

米作家、ポール・セローの短編集。各短編はロンドン、コルシカ島、アフリカ、パリ、プエルト・リコなど、いずれもアメリカ人の主人公たちにとっての"異国"を舞台としている。"異国"のルールを理解/把握することのできない彼らは、漠然とした不安や寄る辺のない気持ちを抱えて生活しており、物語はそれらの気持ちが何らかの行き詰まり/終結を迎えた地点でぷっつりと打ち切られる。

全体的に皮肉の効いたぴりっとした作品が多く、雰囲気としてはレイモンド・カーヴァーの短編(のなかでも、ちょっぴり意地悪なテイストのやつ)なんかと多少似たところがあるかもしれない。まあこれは、どちらも村上春樹の翻訳だから、そうおもっただけかも。

以下、表題作「ワールズ・エンド(世界の果て)」について、簡単な感想メモを残しておく。

 *

4年前、ロバージは仕事の都合でアメリカの家を引き払い、妻と小さな息子を連れてロンドンのワールズ・エンド地区に引っ越してきた。イギリスには知りあいはまったくいなかったものの、引越し先での暮らしはすこぶる順調、ちいさな共同体としての家族の絆は強まり、いままで以上の幸せを手にすることができた!とロバージはおもっていたのだが…!

ロバージは、息子の言動の端々から、どうも妻には浮気相手がいるらしい、と感づく。自分の家族のなかで、何かが致命的に食い違い、間違ってしまっている、すでに損なわれてしまっている、ということは明らかなのに、でも具体的に何が、ということをつかむことはできない。いままでのほほんとしていた自分はいったい何だったんだ!っていう、もどかしくも薄ら寒い感覚がじわじわと迫ってくる。

その男はネクタイをしめていた。その事実からロバージは恋人の姿を勝手に想像した。中年でミドル・クラスで、おそらくは富裕な男だ。手強いライバルで、自分を印象づけようとしており――もちろん英国人だ。男の手がつややかなキャシーのブラウスの中に入っていく光景が目に浮かんだ。俺の知っている男なのだろうか、と彼はいぶかった。でも俺たちには知り合いなんて一人もいないじゃないか?彼らはこの異国のワールズ・エンドの町で、幸せに孤立して生きてきたのだ。彼は泣きたかった。顔がふたつに割れてそこから哀しみが露出してくるような気分だった。(p.25)

彼はアバディーン行きを自分で決め、そこでの適当な仕事を自分でこしらえたのだが、そこにいた三日のあいだ彼は狂気の何たるかを体得した。それは吐き気と哀しみだった。耳が聞こえなくなり、手足ががくがくした。何かをしゃべろうとするとときおり舌が膨れあがって窒息してしまいそうな気がした。彼は地区主任に向かって、自分は苦しくて仕方ないのだと言いたかった。自分がどんなに奇妙に見えるかということも承知している、と。しかしどんな風に切り出せばいいのかがわからなかった。そして不思議なことに、その振舞いの子供っぽさ、ぎこちなさにもかかわらず、彼は自分がぐっと老けこんで、体の中で死が進行し、器官の動きが衰弱しているように感じられた。ロンドンに戻ったときは、まるで心臓に黒い焦げ穴があいてしまったような気分だった。(p.30,31)

「顔がふたつに割れてそこから哀しみが露出してくるような気分」、「まるで心臓に黒い焦げ穴があいてしまったような気分」といった表現にびくっとさせられる。ごくシンプルに、詰んでいる、っていう実感だけが行間からはみ出してくるような感じだ。

ただ、セローはこういった感覚をねちねちと描き続けることはない。彼は、日常のなかにぽっかりと空いた落とし穴に落ちてしまった主人公の姿を確認し終わると、さっとそこから立ち去ってしまうのだ。だから読者は、取り残されたような、急に支えを失ったような、不安な気分と共に作品を読み終えることになる。

(…とはいえ、本書に収録された短編のなかでは、この「ワールズ・エンド(世界の果て)」以上に強烈などん詰まり感というのは出てこない。他の短編は、もうちょっとマイルドだったり、ずっとコミカルだったりもする。)