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『親の家を片づけながら』/リディア・フレム

精神分析学者の著者による一冊。両親が相次いで他界したため、「私」は親の家の片づけに取りかかることにする。両親は青年期を第二次世界大戦のまっただなかで過ごしたユダヤ人であり、彼らの人生は戦争と収容所によって決定的に損なわれていたはずなのだけれど、生前、「私」には決してその詳細を語ろうとしなかった。ただ、両親は「無から救い出せるものは何でも」取っておき、家のなかに「人生のあらゆる物を保存していた」のだった。「私」はそんな彼らの遺した大量の物たちをなんとかしようと苦闘するのだが…!

親の死後、子が親に対して抱く感情というのはなかなか複雑なものだ。自分を愛してくれる人を失ったことの悲しみや、こんなことあり得ないという非現実感があるのはもちろんだろうけれど、決してそれだけに留まるものではない。そこには、自分の心を掻き乱されたという怒りや恨み、罪悪感や劣等感、解放感のようなものだって、同時に存在し得る。

本書で取り扱われているのは、そんな感情のグラデーションの複雑な様相であり、そんなややこしいものと向き合わなければならないことの困難さである。物で溢れた実家を何年もかけて片づけていく「私」が、親との関係について自分のなかでなんとか「片をつけ」ようとしていくさまが丁寧に語られているのだ。親が大切にしていたのであろうものを自分の判断で処分すること、親が生前に自分に語ることのなかった秘密を見つけてしまうこと、そういったことひとつひとつによって引き起こされる感情の揺れ動きを、フレムは精神分析学者らしく冷静に見つめ、文章に落とし込んでいる。

ふたり目の親を失った直後から、人生の中で想像しうる最もつらい務めが待ち受けている。遺された家を空にするという作業だ。ひとつの場所でひとつの片づけをするあいだ、あらゆる感情が自分の中でせめぎ合うだろう。痛みや幸せ、苦痛や喜びなど、心の奥底で鬱積していた感情や感じていた矛盾があふれ出てくるはずだ。けれども、たとえつらくてもこの悲劇を無理にでも味わうことが、心を浄化し、親とのしこりを消すことになる。(p.15)
「喪に服す」という体験は、孤独の中にある。痛みや悲しみを味わうだけではなく、攻撃的になり、激しい怒りすら呼び寄せたりもする。そのことを自分で認めるのはなかなかむずかしい。世間では、死者や赤子という存在に対して、人は愛情や敬意という尊い感情しか抱かない物と思われている。度を越した感情をぶつけるなどありえないと。でも、そんなのはでたらめだ!(p.130-131)