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『マイ・ブックショップ』

恵比寿ガーデンシネマにて。舞台は1959年、イングランドはロンドンから遠く離れた小さな海辺の町。若くして夫を戦争で亡くしたフローレンスは、町にまだ一軒もない本屋を開こうと決める。いつか本屋をやる、というのは読書好きの夫との夢だったのだ。空き家となっていた屋敷を買い取り、懸命に整備して、どうにか本屋を開店する。アルバイトに少女を雇い、町外れの邸宅に引きこもっている本好きの老人にレイ・ブラッドベリを推薦し、田舎町に『ロリータ』を紹介する。そうしてすこしずつ軌道に乗ってきたかにおもえた本屋の経営だが、町の有力者であるガマート婦人から屋敷を譲ってほしいと持ちかけられ…!

冒頭から、「世の中には滅ぼす者と滅ばされる者がいる」という不吉なナレーションが入ることで明らかにされるように、本作は、田舎町の本屋を巡る人々の交流を描いたハートウォーミングな物語ではない。まあそういう側面もないことはないのだけれど、基本的には、”出る杭を打たずにはいられず、打つときにはどんなやり方を使ってでも徹底的に打つ”という人間の邪悪さや、”権力者には決して逆らわず、いざというときには他人に対して何が行われていても見て見ぬふりをする”という人間の冷淡さを暗めのトーンで描いている物語だと言っていいだろう。そしてまた、そういった人間の性質についてあまりにも無知であることの愚かさや、無力であることの悲しみについて淡々と描いた物語でもある。とにかく、全体的に非常にイギリス文学らしい作品だ。

フローレンスが本屋を開く田舎町は、本当に小さな社会ではある。けれど、そこが社会である以上、そこには既存の権力構造があり、独自の掟がある。抑制と社交辞令に包まれていて、いっけん曖昧模糊としていても、じつは確固とした意思がある。とげとげしい雰囲気など微塵も見せず、表面的にはフローレンスに理解を示してさえみせる住民たちは、じつは誰も彼女の本当の味方ではないのだ。

そして、そんな社会に本屋という形で新たな風を吹き込もうとするフローレンスは、彼らの敵意や無関心に対して何らの武器も持っていない。彼女にあるのは勇気だけだが、既存のシステムに立ち向かうのに勇気だけではどうしようもない。保守的な人々を懐柔し、システムを内側から変質させていくためには、もっと知恵や戦略といったものが必要なのだ。だから、フローレンスの試みが失敗してしまうのは当然のことだ。彼女はあまりにも人を信じやす過ぎるし、ときにはあまりにもナイーブ過ぎる。彼女の勇気はたしかに美しく見えるけれど、しかしその闘いははじめから無謀なものであり、あらかじめ敗北を決定づけられたものだった、と言う他ないだろう。

そんなどんよりとした敗北の物語を照らす光となっているのが、本屋でアルバイトとして働くクリスティーンという少女の存在だ。彼女の人間観察力はフローレンスよりもはるかにオトナのそれだし、それでいて子供らしい柔らかな心を持ち合わせてもおり、じつに頼もしいのだ。とはいえ、所詮はひとりの子供でしかないわけで、フローレンスの本屋を巡る闘いに関して、彼女にできることはほとんど何もない。ただ、物語の最後、ねっとりと描かれ続ける人間の醜悪さ、弱さに観客のフラストレーションが限界まで溜まったその瞬間に彼女が下す決断は、フローレンスの意志を、心の灯を受け継いだという宣言のように見え、観客を安堵させてくれる。フローレンスの想いや努力は無駄ではなかったのだ…とおもわせてくれるのだ。