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『蜘蛛女のキス』/マヌエル・プイグ

アルゼンチンの作家、マヌエル・プイグの有名作。ふたりの囚人がひとつ牢のなかに入れられている。ひとりは革命思想を抱いた政治犯の若者バレンティン、もうひとりは同性愛者の中年男、モリーナである。モリーナは、彼の好むB級映画のあらすじをバレンティンに夜な夜な語って聞かせる。やがてふたりの間には情が通いはじめるのだが…!

いわゆる普通の「地の文」というやつがまったく出てこない小説である。小説全体が、「会話文」、「報告書」、「注釈」のみで構成されているのだ。テキストの大半を占める映画の筋に関しても、会話のなかで表現されるのみ。読者は、ふたりの主人公のふるまいや感情を、会話文中に表現された内容から読み取っていくことになる。

木村榮一は、『ラテンアメリカ十大小説』のなかで、一風変わったプイグの文体について、こんな風に説明していた。

三人称による描写や記述ができないというのが、小説を書こうとした時にぶつかった難問でした。そこで思いついたのが、モノローグのほかに人物たちの手紙や対話などを作品に取り込むという手法でした。その点についてプイグは、「私はこれらの人物たちに手紙や人に読まれることのない日記、学校の作文を書かせることにし、そのことによってようやく三人称を使わずに小説を書くことができた」と語っています。(『ラテンアメリカ十大小説』/木村榮一 岩波新書 p.158)

プイグ独特の話法は、技術的な問題をクリアするための苦肉の策として産み出されたものだった、ということであるらしい。

まあ、そんな風に語りの方法に意識的なところはおもしろかったし、感傷を抑えた淡々とした書き方も巧みだったとおもう(プロット自体には多分に感傷的なところがあるのだけれど、地の文による直接的な描写が存在しないことで、センチメンタル過剰になることが回避されている)。ふたりの男の間で少しずつ育まれていく愛情や、彼らの相互理解の可能性の光というのも美しい。さすがに評判のいい作品だけあるな、という感じだ。

…が、小説のなかで映画のあらすじを語る、というアイデアの効果については、正直疑問が残った。平たく言えば、映画について語られるパートが、あまりおもしろいとおもえなかったのだ。モリーナの取り上げる映画が「メロドラマ的な筋書きを持ついかにも俗っぽいB級映画」ばかりだということが、安っぽさを増幅させる効果がある――増幅された安っぽさは哀しみを誘い、作品にしっとりとした情感をもたらす――のはわかるのだけど、はっきり言って筋が退屈だし、モリーナの語りにバレンティンがいちいち突っ込みを入れて話が途切れるのも、なんだか興を削がれるような感じがしてしまって。「作中作」が本当におもしろい小説というのはたくさんあるので、そういう意味では、ちょっと弱いところがあるかな…とおもってしまった。

あと、本作はいわゆる「ラテンアメリカ文学」の小説だけれど、むっとするような熱帯の空気感や魔術的・幻想的なムードというのはほとんど感じられなかったような気がする(ただし、政治的な要素は、作品の主題とほとんど不可分になっている)。そういう意味では、意外と癖がなく、読みやすい一冊だったとおもう。パワフルさよりは洗練を、迷宮性よりは解釈の多義性や曖昧さを志向するような作風だった。