- 作者: C・ブロンテ,吉田健一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1979/01/20
- メディア: 文庫
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『ジェイン・エア』を読了。何年か前に途中まで読んで放置してしまっていたのだけれど、今回は一気に最後まで読み切ることができた。孤児のジェインが長じて教養を身につけ、その意志の力で自分の信じる道を行き、幸せを手に入れる…という、ビルドゥングスロマンと少女小説のあいのこのようなプロットを持った作品だ。
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主人公、ジェインの魅力は、何といってもその意志力の強さだろう。文字通り自分の意志の力ひとつで人生と格闘し、運命を切り開いていくその姿は、とにかくかっこいいとしか言いようがない。ジェインの意志力は、物語冒頭では不幸な生い立ちからの脱却への志向として、中盤では愛の探求として、終盤では神との関係性の誠実さの追求として描かれていくけれど、そこで一貫しているのは、彼女の真摯さ、妥協や中途半端を決して許さない、ほとんど頑なとも言えるくらいの克己心といったものである。彼女は、どんな状況にあっても、自分の信じる価値の追求を決して止めることがないのだ。
そんな生真面目過ぎる性格の持ち主であるジェインは、身の回りの人物はもちろん、社会一般における通説や、男性的な思考、上流階級の価値観などといったものについても必ず自身のフィルターを通して検証し、その価値を査定してみせる。そして、その分析は自分自身に対してもまったく容赦がない。たとえば、こんなところ。
私は明日にも鏡を自分の前に置き、どんな欠点もそのままに、どんな目ざわりな線にも、どんなに不細工な部分にも手心を加えずクレヨンで写生し、その下に、「金も有力な縁故もない不器量な家庭教師の図」と書くことにきめた。
つぎに、前から絵の道具箱にしまってあった小さな象牙の板をだし、パレットにいちばん鮮やかでいちばん美しい色を混ぜあわせ、いちばん柔らかな駱駝の毛のブラシで私に想像できるかぎりの美しい顔を細心の注意を払って描き、フェアファックス夫人から聞いたとおりのブランシュ・イングラムの顔をそこに実現することにした。それにはなるべく柔らかな色調を用いたうえ、漆黒の大きな巻毛も、東洋人のような大きな眼も忘れないつもりだった。その眼のモデルにまたもやロチェスターさんのことが思いだされたが、泣いたり、感傷的になったり、未練がましいことはいっさい許されないのだった。ただひたすら常識と、新たな決心を失わないようにするだけだ。(p.223)
「金も有力な縁故もない不器量な家庭教師の図」って、もはやギャグみたいなことになっているけれど、ジェインはこういうことを完全に自分自身の「新たな決心」のためだけに行うのだ。こういうところを読んでいると、彼女の真摯さ、生真面目さというのは、彼女の高いプライドから生まれたものなんだな、ということがよくわかる。これほどまでに自尊心が強く、自分の理性と感情とをコントロールしようという意志を剥き出しにしている物語のヒロインというのは、なかなか珍しいんじゃないだろうか。
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そんなジェインのお相手となるのが、ロチェスターである。彼らは、立場や年齢こそ離れているけれども、その内実は同類と言ってもいい程によく似通っており、それがゆえに惹かれ合う。プライドの高さはもちろん、頭の回転のスピードや既存の価値観に対するかんがえ方、相手への心の開き方などといったものが互いに酷似しているのだ。
たとえば、彼らの会話は、自身の感情を真正面からぶつけ合う言葉のキャッチボールというよりは、皮肉や反語に包んだそれを相手の手の届くぎりぎりのところに放ってみせる、きわきわのラリーのようだが、それをたのしげに続けられてしまうのは、彼らが互いのことをよく理解し、コンテクストを共有することができているためだ。また、物語終盤ではジェインとロチェスターの力関係が逆転するようなできごとが起こるけれど、そのことがふたりにとって何の問題にもならないのは、互いの自立心、独立心といったものの度合いがよく似ているためだ。
「それはあなたが私よりも年とっていらっしゃるとか、私よりも経験がおありになるとかいうことだけで私に命令する権利がおありになるとは思いません。あなたがその年と経験をどんなふうにお用いになったかでその事はきまるんですから」
「ふむ、おみごと。しかし私は自分の年と経験でろくなことをしていないんですからそのご意見を受け容れたくありませんね。それじゃあなたは目上とか、目下とかの問題は別として、たまには私があなたに命令することに怒ったり感情を害したりしないで従ってくださいますか」
私は笑顔になって、ロチェスターさんというのはふしぎな人だ、私にその命令に従わせるために年に三十ポンド払っているのを忘れているようだと思った。(p.184)
彼らの似方というのは、精神の構造が似ているとか、魂の相似形であるとか、そういったある種宿命的な似方であるため、彼らはふたりの間にいくつも現れる障害を乗り越えてしまうことができる、というわけだ。こういった辺りは、恋愛のひとつの理想形、という感じだろうか。
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そういうわけで、ジェインのキャラクターもおもしろければ、ロチェスターとの恋愛模様もおもしろくて、全体的に読みどころの多い『ジェイン・エア』だったけれど、俺がいちばん素晴らしいとおもったのは、物語のごく序盤で描かれる、「忍耐の教理」と宗教のもたらす心の平穏とを体現してみせる小さな信仰者、ヘレン・バーンスのエピソードだったような気がする。ヘレンの強さは、ジェインの強さとはまったく異なる方向性を持ったものだけれど、それだけに、ジェインの目には彼女の姿がとても美しく映るのだ。ちょっと長いけれど、俺の好きなところを引用しておく。
そうして私はその高い椅子の上に立たされたままでいた。教室の真中にただ立たされるのさえがまんできないと言っていた私が台の上に立たされて皆の目にさらされるというもっと恥ずかしい目に会っているのである。私はなんとも説明のしようがない感じになっていたが、さまざまな感情が一時に湧き起こり息がとまりそうになって喉が塞がりかけたちょうどそのとき、一人の女の子が私のそばを通って私を見あげた。その眼にはなんというふしぎな光があったことだろう。それはなんともいえない感情を私の胸に喚び起こし、私はそれでどれだけ元気づけられたことだろう。何か一人の殉教者、あるいは英雄が、奴隷か罪人のそばを通っただけでその哀れな人間に勇気をあたえたようなもので、私は自分の気持ちを抑え、頭を持ち上げ、椅子に立っている姿勢を正した。ヘレン・バーンスはスミスさんのところに何か仕事のことで聞きに行き、それがつまらないことだったので叱られて、また自分の席にもどっていったのだったが、私がいるところを通りすぎるときにまた笑顔になって私を見あげた。それはなんという笑顔だっただろう。私はいまでもそれを覚えていて、その笑顔には知性と真の勇気が輝いていた。それはヘレンの特徴のある目鼻を、痩せた顔やくぼんだ灰色の眼を天使のそれに近づけていたが、そのとき、ヘレンは「だらしがない」と書いた腕章をさせられていて、その一時間ばかり前に帳面に何かを写していてインキで染みを作ったというのでスキャッチャードさんに、翌日の昼の食事はパンと水だけだと言われたのだった。人間にはだれにでも欠点があるもので、澄みきった月の表にいくつかの影が見える。スキャッチャードさんのような人の目にはそういう些細な欠点ばかりが見えて、ヘレンの笑顔はわからないのだった。(p.88,89)
こういうの、ベタだけどすごくいいんだよなー。涙がちょちょぎれそうになる。ジェインの宗教観、神との関係というのは、本作のプロット全体に大きく関わってくるものだけれど、そのいちばん最初の影響源とも言えるヘレンのキャラクターは、とても魅力的だ。