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『初夜』/イアン・マキューアン

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

タイトルの通り、とあるカップルの初夜を描いた中編。近年のマキューアン作品の特徴といえば、流れるような文体にきめ細やかな心理描写、かっちり構築されたプロット、いかにもイギリス人って感じのアイロニーなんかが挙げられるとおもうけれど、本作でもその旨味はじゅうぶんに味わうことができる。

時は1962年のイングランド。婚前交渉がまったくないまま初夜を迎えることになったエドワードとフローレンスだったが、ほんのささいなことからすれ違いが起きてしまう。ふたりがそれぞれに抱えた過去や出会いのシーンをところどころに挟み込みながら、物語はじわりじわりと展開していくのだが…!

この"初夜"で起こる事件そのものは、ちょっとした失敗談、どうでもいい笑い話にしか過ぎないようなものだ。けれど、ふたりそれぞれの抱えるプライドやコンプレックス、性格の差異などが互いに影響し合うことで、事態は取り返しのつかない方向へずるずると進行していってしまう。

自分がじつに哀れむべき行動をとっていることはわかっていた。だが、生き延びるため、ぞっとする一瞬から逃れるために、彼女は掛け金を吊り上げ、次の約束をして、なんの助けにもならないのに、自分がそれを待ち望んでいるかのような印象を与えなければならなかった。最終幕はいつまでも延期できるわけではなく、その瞬間はすでにそこまで迫っていたが、愚かにもみずからそこに向かっていた。彼女はルールに異議をとなえることのできないゲームにはまっていたのである。どんな理屈からエドワードの先に立って、彼を引っ張り、部屋を横切って、ベッドルームのひらいたままのドアへ、狭い四柱式のベッドとぴんと張られた白いベッドカバーへ向かうはめになったにせよ、いまさら逃れる術はなかった。そこに着いたらどうするつもりかはわからなかった。(p.36,37)


自分がすらりと言う声が聞こえた。「失敗は見ればわかるわ」だが、彼女はそんなことを言うつもりではなかった。こんな残酷さはすこしも彼女らしくなかった。ただ第二バイオリンが第一バイオリンに応答しただけだった。(p.141)

マキューアンの意地の悪さが存分に発揮された精密な心理描写によって、物語の悲喜劇性はいやがおうにも高まっていくわけだけど、基本的には数時間の出来事である"初夜"自体はさらりと終わってしまう。ただ、この物語には短いエピローグがつけ加えられており、過ぎてしまった出来事を振り返るその視線こそが、読み手に強い情感を呼び起こすような仕掛けになっている。これがまあ、じつに上手い。ドライな分析がウェットな描写に変化する、その瞬間は本当に感動的だ。

六十代に入ってからも、後退した白髪に健康的なピンク色の顔をした、このがっしりした長身の男は、長時間歩きまわるのをやめなかった。彼の毎日の散歩コースには依然として菩提樹の並木道が含まれており、天気がいいときには、ぐるりと輪をえがくルートをたどって、メイドングルーヴの共有地の野の花を眺め、ビックス・ボトムの自然保護地区で蝶を見て、橅の森を抜けてシピル教会――いずれそのうち彼もここに埋葬されるはずだった――まで戻った。ときおり、橅の森の奥の小道の分岐点に差しかかると、あの八月の朝、彼女はここで立ち止まって地図を見たにちがいない、とふと思ったりした。すると、わずか数メートルと四十年離れたその場所で、一心になって彼を見つけようとしている彼女の姿が鮮明によみがえった。あるいは、ストーナー渓谷を見下ろす場所で足を止めて、彼女はここに立ち止まってオレンジの皮を剥いたのかもしれないとも思った。(p.164)

きっと誰しも経験があることだとおもうけれど、かつてどんなに希望に満ちて輝き、強く確かにおもえたものであっても、本当に些細な、取るに足らないような出来事によって完全に損なわれてしまう、ということがある。そして、一度損なわれ、手からこぼれ落ちてしまったそれを取り戻すことは、決して叶わない。「どうして?」と問うてみたところで、そこには明確な答えなどなく、人は誰しも、ただただ立ち尽くし、後悔する他ない…。マキューアンの筆致は、そんな残酷な真実を優雅に美しく描き出しているようにおもう。