保坂和志は『途方に暮れて、人生論』のなかで、こんなことを書いている。
人生とは本質において、誰にとっても、「遅く生まれすぎた」か「早く生まれすぎた」かのどちらかを感じるようにできているものなのではないか。つまり、個人が人生において直接経験することなんてたいしたことではないし、他人に向かって語るべきものでもない。/
どう表現すれば人に伝わるかわからないのだが、自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ。(p.19)
“遅く/早く生まれすぎた”感じ、というと、俺はビーチ・ボーイズの"I Just Wasn't Made for These Times"をおもい出す(邦題が"間違った時代に生まれた")のだけど、ジム・フジーリはこの曲について、『ペット・サウンズ』のなかでこう書いていた。
この曲を聴いたときに僕は思った。ああ、こんな風に感じているのは自分ひとりじゃなかったんだ、と。/この世界のどこかに、自分の感じていることをそっくりそのまま理解してくれる人がいて、その人もやはり自分と同じような感じ方をしているのだ。それは言いようもなく素晴らしい発見である。おまけにその人は、ただ同じことを感じているというだけではなく、実に適切にぴたりとあなたの感じていることを表現できるのだ。(p.101)
自分が直接経験することなんて大したことではない。保坂のそういうかんがえは、いまの俺にはとてもしっくりくる。なんだか最近、自分のようすを3mくらい上空から眺めているような気分になったりするのだ。けれど、それと同時に、フジーリがビーチ・ボーイズを聴いて感じていた気持ちもすごくよくわかる。自分の感じていることをそっくりそのまま理解していれる人がいて、その人もまた自分と同じように感じている、ってわかったときがたとえ一瞬でも存在したということ、それはやっぱり本当に素晴らしいことだったな、って強くおもう。
なぜってそういう瞬間があったからこそ、大したこともなく語るべきこともないような、不確定要素だらけで自分が当事者であることすらも些細なことであるような人生に、輝きとかよろこびみたいなものを見出すことができるのだから。きょう、そんなある瞬間のことが不意によみがえってきてぼんやりかんがえていると、保坂とフジーリの書いていることは決して対立するようなことじゃなくて、保坂のような認識がまずあって、その上でもなお素晴らしい発見っていうのはできるんだよな、べつに間違った時代に生まれてたっていいじゃんね、なんておもえてきて、会社帰りのバスのなかで、ひとりでうんうんうなずいてしまったのだった。
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