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『血と暴力の国』/コーマック・マッカーシー

血と暴力の国 (扶桑社ミステリー)
やっぱりマッカーシーの小説は圧倒的におもしろい!読点やかぎ括弧のない硬質な文章がとにかくかっこよくて、そうそう、小説を読むよろこびってまずはこういうところにあるんだよなー、なんておもいつつ読んだ。今作にも、マッカーシー作品の特徴、すなわち、悲劇的な世界観や南部の不穏な暴力性、リアリズムなのに妙に幻想的なイメージなどなどの要素がふんだんに散りばめられている。神話っぽい匂いのする、独自の小説世界。とにかく、1ページ目から、あー、まさにコーマック・マッカーシーの小説だ、って一気に引き込まれる感じが素晴らしい。

眼は魂の窓だとよく言うだろう。すると魂のない人間の眼はなんの窓なのかおれは知らないしどちらかというと知りたくない気がする。しかしこの世には普通とは違う世界の眺め方があってそんな眺め方をする普通とは違う眼があってこの話はそういうところへ行く。おかげでおれは考えてみたこともなかった場所へ連れていかれた。この世界のどこかには本物の生きた破壊の預言者がいるんだがおれはあいつと対決したいとは思わない。あの男が本当にいることは知っている。あの男のやったことはこの眼で見た。やつの眼の前を歩いたことも一度だけある。そんなことは二度とする気はないよ。チップをテーブルに張ってあの男の前に立つのはごめんだ。(p.8)

物語の舞台は80年代、テキサス南西部の国境地帯。拾ってはいけない金を拾ってしまったモス、彼をひたすら追い続ける殺人者シュガー、そして事件を追う保安官のベル、って3人の男たちが主要な人物で、彼らの血なまぐさい逃走/追跡劇が描かれていく。

緊迫感あふれる(むしろあふれすぎ!)な文章とシンプルな展開でぐんぐん読まされるのだけど、途中から物語はいわゆるクライムノベル的なストーリーの定型からどんどん逸脱していく。そうしてかんがえさせられることになるのは、運命論的な問題、人がなにかを選択するとは、そしてその責任を引き受けるとはいったいどういうことなのか、ってことだ。

人生の一瞬一瞬が曲がり角であり人はその一瞬一瞬に選択をする。どこかの時点でおまえはある選択をした。そこからここにたどり着いたんだ。決算の手順は厳密だ。輪郭はきちんと描かれている。どの線も消されることはありえない。自分の念じたとおり硬貨の表裏を出せるなんてことをおれは信じない。なぜそんなことができる?ある人間が世界の中でたどる道はめったに変わらないしそれが突然変わることはもっとまれだ。おまえのたどる道は初めから見えていたんだ。(p.340)

この小説でいちばん強烈な印象を残すのは、出会った者全てを血祭りに上げていく超冷酷な殺人者、シュガーって男の存在だろう。作中、彼は絶対悪みたいなものとして扱われているけど、俺にはなんていうかもう、自然災害みたいな、ほとんど根源的な災いのようにも感じられた。つまり、災厄とは、不幸とは、何の前触れもなく訪れる。それはあまりに唐突で無意味で、しかもそこにはエクスキューズの余地もない。シュガーの前で誰もがなす術を持たないように、世界にはそんな圧倒的な災いが、どうしようもない理不尽さがたしかに存在している。

おれがおまえの人生の中に登場したときおまえの人生は終わったんだ。それには始まりがあり中間があり終わりがある。今がその終わりだ。もっと違ったふうになりえたと言うことはできる。ほかの道筋をたどることもありえたと。だがそんなことを言ってなんになる?これはほかの道じゃない。これはこの道だ。おまえはおれに世界に対して口答えしてくれと頼んでるんだ。わかるか?(p.341)

世界には不条理やら意味のない悪やらが満ち満ちているけれど、人はどうしたってそれらから逃れることはできず、そのなかで生きていく他ない。この小説もやっぱり悲劇的な結末を迎えることになるのだけれど、でもだからといってその結末まで生き続けた、選択をし続けた人の生が全くの無になってしまうわけではなくて、良くも悪くも、「どの線も消されることはありえない」。

マッカーシーがひたすら書きつづけているのは、世界の残酷さみたいなもののような気がする。たったひとつの選択を間違えた途端、幸せはいとも簡単に失われ、人はあまりにあっけなく死ぬ。人のなすあらゆる選択とは、どのひとつにしても、それがどのようにかんがえて選ばれたものだったとしても、決して後戻りのできない、取り返しのつかないものなのだ。小説を読み進めていくにつれ、そんな厳しい事実を突きつけられるような気分になった。

ただそれは、そんな厳しい世界だけれど、いや、そんな世界だからこそ、かすかな光が辺りをぼんやり照らすさまが心に染みる、っていうことでもある。長い物語のいちばん最後にあるのは、そんなことも感じさせるような美しくもはかないイメージで、俺は文字通り震えたのだった。