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「秋」/芥川龍之介

姉妹と従兄の三角関係を描いた短編。小説家になりたかった主人公の信子と、同じように文学を志す従兄の俊吉は互いに惹かれ合っていたはずだったが、どうやら妹の照子も俊吉のことが好きらしい、ってわかった途端に信子はあっさりと身を引いて他の男と結婚してしまう。夫に小説なんか書くなと責められ涙に暮れる日があったりしつつも、なんだかんだで夫に尽くしている信子だったが、かと言ってまったく不満がないわけではない。果たして私の判断は間違っていなかったのだろうか、って、ことあるごとに疑問におもってしまう。そんなある日、信子は俊吉・照子夫婦の家を訪問することになるのだが…!

信子の気持ちのなかには、「妹のために俊吉を諦めてしまった私…。ああ、私って、なんて妹思いなお姉さんなの!」っていうような部分が確実にある。それは言ってみれば、悲劇のヒロインを気取るような、どこかナルシスティックな感情だろう(とはいえ、これはもちろん、誰しもが感じるような普遍的な感情でもある)。ただ、これと似たような感情を、当の俊吉も、妹の照子もそれぞれに抱えている、っていうところがこの作品のポイントだ。Sを演じるMな信子と、Mを演じるSな照子、そして、それをにやにや笑って俯瞰しているちょっと悪趣味な俊吉、っていう微妙でややこしい関係が、何層ものオブラートに包まれて描かれている。

その内に照子が帰つて来た。彼女は姉の顔を見ると、手をとり合はないばかりに嬉しがつた。信子も唇は笑ひながら、眼には何時かもう涙があつた。二人は暫くは俊吉も忘れて、去年以来の生活を互に尋ねたり尋ねられたりしてゐた。殊に照子は活き活きと、血の色を頬に透かせながら、今でも飼つてゐる鶏の事まで、話して聞かせる事を忘れなかつた。俊吉は巻煙草を啣へた儘、満足さうに二人を眺めて、不相変にやにや笑つてゐた。

彼らは三者三様のやり方で、自分の正直な気持ちに向き合うのを避け続けている。そんな彼らの生みだした大量のオブラートのせいで、この三角関係は誰が被害者で誰が加害者なのかはっきりとしないし、誰が誰に対してどのような不満を持っているのかも判然としない。なかなかに不健康な物語だけど、ま、こういうのってたしかにあるんだよね…っていうようなリアリティの感覚もあったりして、おもしろくもある。

そうして、秋のどんよりした空の下、少し不安定な気持ちを抱えながら、この三人はこれからも同じようにやっていく他ないのだろう…という、ただぼんやりとした予感だけを残して、物語は閉じられていく。