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『1973年のピンボール』/村上春樹

1973年のピンボール (講談社文庫)
何年ぶりかに読み返したけど、うーん、やっぱりこれもいい小説!俺は村上春樹は初期の作品がすきだなー。いろんな意味でイタい感じも含めて。『風の歌を聴け』に続く、「僕」と「鼠」の物語なんだけど、前作と比べるとずいぶん感傷的だし、乾いた感じよりは陰鬱さの方が濃くなっている。とはいえ、そんな無防備さこそが、この作品の大きな魅力だ。

鼠にとってのときの流れは、まるでどこかでプツンと断ち切られてしまったように見える。何故そんなことなってしまったのか、鼠にはわからない。切り口をみつけることさえできない。死んだロープを手にしたまま彼は薄い秋の闇の中を彷徨った。草地を横切り、川を越え、幾つかの扉を押した。しかし死んだロープは彼を何処にも導かなかった。羽をもがれた冬の蠅のように、海を前にした河の流れのように鼠は無力であり、孤独であった。何処かで悪い風が吹き始め、それまで鼠をすっぽりと取り囲んでいた親密な空気を地球の裏側にまで吹きとばしてしまったようにも感じられる。(p.40)

前作より感傷的、と書いたけど、たとえばこういう文章には、内容と言えるようなものがほとんどない。過剰なくらいの比喩によって心情、きぶんが表現されているだけだ。でも、まさにそのために、圧倒的に具体性に欠けるがゆえに、読者のきぶんと共鳴しやすい、というところはあるのかもしれない。

僕にとってもそれは孤独な季節であった。家に帰って服を脱ぐたびに、体中の骨が皮膚を突き破って飛び出してくるような気がしたものだ。僕の中に存在する得体の知れぬ力が間違った方向に進みつづけ、それが僕をどこか別の世界に連れこんでいくように思えた。(p.60)

もし僕が両耳の穴にくちなしの花をさして、両手の指に水かきをつけていたとしたら何人かは振り返るかもしれない。でもそれだけだ。三歩ばかり歩けばみんな忘れてしまう。彼らの目は何も見てなんかいないのだ。そして僕の目も。僕は空っぽになってしまったような気がした。もう誰にも何も与えることはできないのかもしれない。(p.76)

やー、でも、ここまで来ると、さすがにちょっと行き過ぎの感は否めない。初期の村上春樹に拒否反応を示す人って結構いるけど、こういうナルシシズムの匂いが嫌いなんじゃないかなー、とおもう。

上の引用からもわかるように、小説全体を通して描き出されているものは、ただただ喪失感、挫折感といったものに尽きる。それは、生きることの無意味さに対する空しさ、みたいな、ごく抽象的なもので、たとえば“直子の死”なんていうのはほとんど後付けの理由みたいなものになっているようにも感じられる。けれど、だからといって、この小説で描かれる喪失感がぜんぜんリアルじゃない、まがいものだ、っていう風には言い切れない。人は、必ずしも確たる原因があって初めて喪失感を味わうわけではないからだ。たぶん、もっと漠然とした、何かが失われていくことに対する悲しみのようなものがあって、それがこの作品では取り扱われている。

人は、生きていくなかで、さまざまな人やものと出会い、こころ惹かれるけれど、それらはきっといずれ失われていくことになる。そんな、失われることがあらかじめわかっているものたちに、何か意味とでも言えるようなものがあるのだろうか?

ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。バラの蕾、失くした帽子、子供の頃に気に入っていたセーター、古いジーン・ピットニーのレコード……、もはやどこにも行き場所のないささやかなものたちの羅列だ。二日か三日ばかり、その何かは僕たちの心を彷徨い、そしてもとの場所に戻っていく。(p.106,107)

生きることは、そんなささやかのものたちの羅列を辿っていくことにしか過ぎないのかもしれない。だからこそ、そこに意味を見出そうとするのかは、やはりその人次第だ、ということになる。いわゆる大きな物語やら超越的な他者やらが失われたなか、「僕」も「鼠」もどうにか意味を求めようとして、もがいていく。

「ねえ、ジェイ。」と鼠はグラスを眺めたまま言った。「俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ。」
ジェイはしばらく何も言わずに、自分の指先を見ていた。それから少し肩をすぼめた。
「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力すれば何かを学べるってね。どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね、どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。」(p.92,93)

結局のところ、この小説でも、無意味さという苦痛に対処する手段としては、デタッチメントというあり方が採られているようにおもえる。それは、多くのものが過去へと流されていってしまうことに対する反発、抵抗ではあるけれど、どうにも打たれ弱そうで、そのために悲しげな、疲れたようなトーンが小説全編に覆いかぶさっている。俺はいまでも、この小説の弱々しさや無防備さと自分のそれとが共鳴するように感じられたりして、そんな感覚がこの作品を自分にとってたいせつなものにしているようにおもう。