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『写字室の旅』/ポール・オースター

写字室の旅

写字室の旅

オースターの2007年作。シンプルな四角い部屋のなかに、老人が一人。彼には何の記憶もない。部屋の天井には隠しカメラが設置されており、その姿を撮影し続けている。やがて、彼の元をさまざまな人物が訪ねてくるのだが…!

長編と呼ぶには分量少なめの本作は、オースターお得意の「カフカ的不条理」に、「書くこと」、「物語ること」といった伝統的なテーマが組み合わさるような形で構成されている。そういう意味では、彼の初期の小説を思い起こさせるような作風だと言ってもいい。

ただ、本作からは、『幽霊たち』や『鍵のかかった部屋』にあったような、身を切るような切実さというものはいまいち感じられなかった。作家自身にとってはこれでもじゅうぶん意味のある作品になっているのかもしれないけれど、彼の心象風景を直接知ることのない読者にとっては、作中で描かれている内容だけではまだまだ物足りないというか。いろいろな要素を匂わせているばかりで、それらがまったく突き詰められていない感じがしてしまったのだ。

本作の大きな特徴としてまず挙げられるのは、主人公のミスター・ブランクが、「オースター自身をモチーフにしたとおぼしき人物」であり、「写字室」で過ごす彼を訪問するのが、「オースターの過去作品の主人公とおぼしき人物たち」である、という点だろう。だからまあ、これはある種のファンサービス的な一冊ということなのかもしれない。(そうかんがえれば、全体的に詰め切れていない感じにも、目をつぶってしまえる気がする。)

この特徴について、柴田元幸は、「訳者あとがき」でこんな風に書いている。

興味深いのは、この小説に出てくる、かつてミスター・ブランクから「任務」を課された人びとのほとんどが、彼に対して恨み、つらみ、敵意を――時にはきわめて激しく――抱いているらしいことだ。そしてミスター・ブランク自身、過去を思い出そうとすると、ほとんど自動的に、疚しさの感情、罪悪感が湧き上がってくるのを感じるのである。ならば、オースターもまた、過去に自分が創造した人物たちから憎まれ、恨まれていると感じ、彼らに対し疚しい思いを抱いているのだろうか? この問いへの答えがイエスかノーかはわからないし、どちらであったとしても、作品そのものの値打ちとは直接関係がないことだろう。むしろ大事なのは、ここでのミスター・ブランク/ほかの人物たちの関係が、現実の我々の、自分/他人との関係を、どれだけ反映しているように感じられるかではないか。もしそれが、読んでいる我々には何の関係もない、あくまで一人の特権的な作中人物と、その他の作中人物との特殊な関係でしかないと思えるなら、この作品は、一種よく出来た知的な戯れにすぎないことになるだろう。(p.168)

いや、うーん、これはどうなんだろう?正直、ちょっと苦しい言い分なんじゃないだろうか??もし、本当に大事なのが、「ミスター・ブランク/ほかの人物たちの関係が、現実の我々の、自分/他人との関係を、どれだけ反映しているように感じられるか」であるのならば、ミスター・ブランクがオースター自身であるように見え、他の人物たちがこれまでのオースター作品の主人公たちであるかのように見える必要などないはずだろう。現実の我々は、他人を創造することなどできないのだから。それに、そもそもオースターの作品の魅力というのは、「一種よく出来た知的な戯れ」と、ある種の切実さが不可避なかたちで結びついてしまっている、まさにそんなところにあるんじゃなかったっけ?…そんな風に俺はおもってしまったのだった。

そうかんがえると、やっぱり本作は、「物語の語り手は、自身の物語に対してどのように責任を負うのか」という問題に焦点を当てようとしているのではないか、という気がしてくる。「物語の語り手」というのは、べつに小説家には限らない。誰かに何かを伝えようとするとき、その人は語り手という特権的な立場の人物になるのだから。そして、物語というのは、事実と事実とを結びつけ、適切な文脈を与えることもできれば、人を騙し、欺き、叩きのめし、怒らせ、戦争を引き起こすために機能することだってできるものだ。その強度や説得力や倫理性は、特権的な人物たる、語り手の想像力の限界によって規定されることになる。作中作の「報告書」で語られているこの辺りの問題は、なかなか興味深いものだ。

それはそれで良いのだけれど、ただ、物語の主人公たるミスター・ブランクが、この問題に対する答えをまるで持っていない――どころか、問題そのものを明確に認識することすらできていないように見える――ということが、本作をどうにも物足りないものにしているようにおもう。ミスター・ブランクがぜんぜん動かないがために、読者は「この小説の中では何も起こっていないじゃないか」という気分になってしまい、テーマが掘り下げられていないような印象を持ってしまうのではないか。そんな気がする。