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『アラン・ケイ』/アラン・カーティス・ケイ

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイは、メインフレーム主流の時代に、個人で使うことを前提とする「パーソナルコンピュータ」というアイデアをはじめて示した人物だ。1970年代初頭、ゼロックスのパロ・アルト研究所(PARC)に所属していた彼は、パーソナルコンピュータの理想的な完成形として「ダイナブック」なるものを提唱する。それは、専門家に頼らずとも利用可能なコンピュータ、6歳の子供でもじゅうぶんに活用することのできるコンピュータ、A4くらいのサイズで、直感的なUIを持ち、音声や画像を取り扱うことができ、シンプルかつエンドユーザ側で再定義可能なシステム構成を持ち、ネットワークに対応し、屋外に持ち出すこともできる…という特徴を持ったものだった。

わたしは、ボール紙でダイナブックの外観を示す模型をつくり、どのような機能をもたせるべきかを検討しはじめた。このときにわたしが思いついた比喩のひとつは、十五世紀の中葉以降に発展していった、印刷物の読み書きの能力(リタラシー)の歴史と、コンピュータの類似(アナロジー)だった。一九六八年に、同時に三つの画期的な技術に出会ったせいで、わたしは、ヴェニスの印刷業者、アルダス・マヌティウスのことを思い浮かべずにはいられなかった。はじめて書物を現在と同じサイズに定めたのは、このマヌティウスだった。このサイズなら、十五世紀末のヴェニスの鞍袋にぴったり収まるから!(p.18)

(暫定的なダイナブックとして試作された「アルト」を、79年にスティーブ・ジョブズが見て、マッキントッシュの原型たる「リサ」を生み出すに至った…という話は、それなりに有名だろう。とはいえ、現在流通しているiPadのような製品でも、「ダイナブック」の理想に到達しているとは言いがたいようにおもう。)

本書は、そんなケイが70年代に発表した論文と、彼についての評伝が収められた一冊だ。ケイは、「未来を予測する最良の方法は、未来を発明すること」だと豪語しているけれど、本書を読んでいると、現在のPCやネット周りの環境というのは、ほとんどが彼の当時の構想に含まれていた内容であるということがよくわかる。

ケイは、コンピュータとは「機械」ではなく、「メディア」であると言う。紙の上の記号、壁の絵、映画、テレビetc.といった従来のメディアと人間との関わり方というのは、基本的に非対話的で受動的なものだった。だが、コンピュータという「メタメディア」――「記述可能なモデルなら、どんなものでも精密にシミュレートする能力」を持ったコンピュータは、メッセージの見方と収め方さえ満足なものであれば、他のいかなるメディアにもなり得る――は、問い合わせや実験に応答することのできる、能動的なメディアなのである。

だから、コンピュータは、他のあらゆるメディアと同様、4つの段階を辿ってその立場を変えていく、とケイは言う。

  • 第一は、「ハードウェア中心段階」。紙でもシリコンでも、ハードというのは簡単に作れてしまうものだけれど、時の経過によって誰もがその製造方法を知るようになり、そこから利益を引き出すことは難しくなっていく。
  • 第二は、「ソフトウェア中心段階」。はじめの内、ソフトウェアはさまざまなメーカーによって濫造されることになるが、やがてそのなかで淘汰が起こり、製品の流通はコントロールされるようになっていく。
  • 第三は、「サービス段階」。顧客が本当に買いたいものというのは、ハードでもソフトでもなく、サービスであるのだから、それを売りましょう、ということだ。ケイは、この段階の例として、60年台のIBM(メインフレーム全盛期)を例に挙げている。
  • 第四は、「生活習慣段階」。紙や鉛筆のように身近になっている状態、ということだ。そういったメディアは、「なくなったときに、はじめてその存在に気づく」ものだと言えるだろう。

そして、こういった発展を駆り立てるのは、人間が本来的に持っている、「夢想」と「コミュニケーション」の欲求であるとケイは主張する。

人間は、"夢想(ファンタサイズ)"したい、"コミュニケート"したい、というふたつの欲求をもっています。ファンタシーというのは、単純明快で制御可能な世界へいくことを意味します。ファンタシーには、言語そのもの、ゲーム、スポーツ、音楽、数学、科学研究用コンピュータなどを利用することがふくまれます。これはいずれも、人間がより大きな支配力を求めておもむく、より単純な場所なのです。二〇世紀になって、徐々に細部にまで制御がいきわたるようになったわけです。(p.132)

そのような「人間の深奥の欲求」に応える"増幅装置(アンプ)"を作ることさえできれば、必ず――その値段が先行品の10倍以内に収まっている限りは――成功するだろう、とケイは述べている。コンピュータというのは、まさにこの"増幅装置(アンプ)”であり、「夢想」と「コミュニケーション」に対して大きな支配力を持とうとする人間の欲求に強く訴えかける、能動的で双方向的なメディアに他ならない、ということだ。