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『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』/ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ(その2)

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

前回のノートでは、ビッグデータとはいかなるもので、それによってどのような変化がもたらされようとしているのか、そして、そこから利益を引き出そうとする際にはどんなことに留意すべきか、といったことをまとめてみた。では、ビッグデータの革命によって新たにもたらされるリスクがあるとすれば、それはいったいどのようなものなのだろうか?

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ビッグデータが引き起こすかもしれない新たな危険について、著者はこのように述べている。

重要なのは、ビッグデータによってプライバシーのリスクが高まるかどうか(高まることは確かだろう)よりも、リスクの性格が変わってしまうかどうかだ。単にこれまでよりも脅威が大きくなるだけなら、ビッグデータ時代もプライバシーが守られるように法令を整備すればいい。これまでのプライバシー保護の取り組みを一段と強化するだけの話だ。しかし、問題自体が変わってしまうのなら、解決策も改めなければならない。(p.229)

もちろん、リスクの性格はこれまでとは変わってくるはずだ。ビッグデータから抽出可能な利益というのは、スモールデータから得ることのできるそれと質的に異なるものであるのだから、当然のことだ。

データの収集・蓄積・分析が低コストで行えるようになったビッグデータ時代、ありとあらゆるものごとから収集されてきた大量のデータは、取得時点での目的に対して使用するだけには留まらず、将来的に、まったく別の用途のために2次利用することが可能になってくる。

アマゾンは客が購入した書籍だけでなく、単に眺めただけのウェブページまで記録している。こういうデータがあれば、1人ひとりの客に応じた「おすすめ商品」を提示できるからだ。同様にフェイスブックでは、ユーザーの「近況アップデート」と「いいね!」の情報を基に、最適な広告を画面上に表示することで収入を得ている。 食べ物もキャンドルも消費すればなくなるが、データの価値は使っても消えないし、何度でも繰り返し加工できる。(p.156,157)

このような2次利用が可能となったデータがもたらすリスクとは、どういったものであるのか。本書によれば、それは「予測だけで人間を判断する行為」だという。大量の個人情報を用いて行うビッグデータ予測は、個人を、その実際の行為ではなく、傾向や習性によって罰する道具にもなり得るというのだ。

あらゆることがデータ化され、その相関関係が明らかになってしまえば、私たちは何ごとにつけてもデータの託宣を、アルゴリズムの預言をもとに判断を行うことになるかもしれない。そのとき、データによって示される「確率」は人間の生や尊厳に対して大きな影響を持たずにはいられないはずで、たとえば、データから予測される「確率」から、人を罰する「理由」が見出されるようになることさえあり得るかもしれない…ということだ。

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予防テクノロジーというやつは、リスクとなるファクターを特定することで、好ましくない事態の発生をあらかじめ封じ込めようとするものだけれど、ビッグデータを予防テクノロジーとして使えば、個々人を直接的に監視しなくとも、収集されたデータを分析にかけるという形で、間接的に監視を行うことができるということになる。となると、これはもはや「プライバシーの侵害」などといったレベルの問題ではなくなってくる。なにしろ、ビッグデータ予測によって犯罪や違法行為が未然に防止される、という『マイノリティ・リポート』的な世界が実現できてしまうというわけなのだ。

これまでのようにプロファイリングを実施するにせよ、差別的な側面をなくし、もっと高度に、個人単位で実行できるようになる。それがビッグデータに期待できるメリットだ。そう言われると、あくまでも良からぬ行為の防止が狙いなら、受け入れてもよさそうな気がする。しかし、まだ起こってもいない行為の責任を取らせたり、制裁を加えたりする道具にビッグデータ予測が使われるとすれば、やはり危険きわまりない。(p.241)

これは単なる治安維持の問題と片づけるわけにはいかない。社会のあらゆる分野に危険が及ぶからだ。人間が物事を判断するあらゆる場面で、未来の行為の責任を問うかどうかがビッグデータ予測で決まってしまうからだ。経営者が従業員を解雇するかどうか、医師が患者の手術をやめるかどうか、夫婦が離婚に踏み切るかどうかなど、何でも関わってくる。(p.243)

こういった事態は、ビッグデータの使い方を誤ったがために発生する。ビッグデータとは相関関係を前提としたものであるのに、それを用いて因果関係を判定しようとするから、おかしなことになってしまうのだ。まあ、あたりまえと言えばあたりまえのことなのだけれど、なにしろ人間というやつはこの世界を因果関係でもって把握しようとする癖があるわけで、データの分析結果を過大評価して、そこから導かれた「答え」を真実の根拠だとおもい込んでしまう…というケースは、これからいくらでも発生し得るだろう。

ビッグデータの時代には、データというものの性質や価値がこれまでとは大きく変化してくることになるだけに、その活用には注意深くあらねばならない、ちょっと油断すれば、データ至上主義の世界、自由意志や個人の主体性といった人間の尊厳さえもが解体し否定される、『マイノリティ・リポート』や『ガタカ』のディストピア世界に一直線だ、と著者は警告しているわけだ。