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『純愛(ウジェニー・グランデ)』/オノレ・ド・バルザック

純愛―ウジェニー・グランデ (角川文庫)

純愛―ウジェニー・グランデ (角川文庫)

これもドストエフスキー関連で読んだ一冊。1844年、作家としてデビューする前のドストエフスキーが翻訳した、バルザックの有名作だ。もともとのタイトルは、"Eugénie Grandet"。「人間喜劇」的には、「地方生活情景」に属する作品だ。

フランスの田舎はソーミュールに暮らす、世にも吝嗇な爺さん、グランデ氏には、若く美しい娘ウジェニーがいた。グランデ氏の財産を狙うクリショ家とデ・グラサン家の面々はウジェニーとの結婚を望み、日夜、爺さんにいろいろと働きかけているのだが、なかなかうまくいかない。そんなある日、グランデ氏の甥にあたるシャルルがソーミュールに現れる。美しい栗色の髪にいかにもパリ風の装い、物腰もやわらかな従兄弟に、田舎娘のウジェニーは一目で魅了されてしまうのだったが…!

バルザックの作品の大きなテーマはいつだって愛と金の問題(あるいは、愛<金の問題)だけど、本作のグランデ氏はまた格別な吝嗇家だ。村一番の金持ちのくせにあちこち軋むようなボロ屋に住んでいるし、砂糖や薪の使い方だってものすごくけちけちしている。自分が以前ウジェニーにプレゼントしていた金貨がシャルルの手に渡ったことを知ると、怒り狂ったあげくに娘を監禁してしまったりもする。まあとにかく、どけちなじいさんなんである。ぜいたくな暮らしも酒も女もどうでもよく、興味があるのはただ金儲けのみ、っていう極端さは、もはやすがすがしいくらいだ。

(ただ、そんなグランデ氏が、娘のようすを気にかけている描写がちらりと挟み込まれていたりして、うまいなーっておもわされる。あくまでさりげない、ほんの2、3行の描写なんだけど、こういうのこそが効果的だ、ってことをバルザックはよく知っていたのだろう。『ヴェニスの商人』のシャイロックみたいな感じ、って言ったらいいのかな。きちんと描かれてこそいないけど、きっと彼なりに娘のことを愛しているのだろう…などと、読者はかんがえないではいられなくなるのだ。)

なにしろインパクトがあるのはグランデ氏のキャラクターだけれど、"Eugénie Grandet"のタイトル通り、プロットを駆動していくのは、あくまでもウジェニーとシャルルとの初々しい初恋である。とはいえ、やはりそこは初恋。ふたりがいつまでも純朴なままでいることなどありえるはずもなく、現実世界での地位上昇を強く望むシャルルは、きわどいやり方に平気で手を出す人物になっていくし、ウジェニーは恋に敗れた瞬間から、何かを悟ったようになってしまう。"純愛"がキープされる期間というのは、あまりにも短いのだ。

何かを悟ったらしいウジェニーは、ついにグランデの血を完全に自分のものとするようになる。いっけん、グランデ氏とはまるで方向性の異なる生き方を選んでいるように見える彼女だが、ある意味においては、守銭奴の父親とまるで同じような、俗人には及ぶべくもない、類まれな頑固さを発揮することになるのだ。

すべて人間の力というものは忍耐と時間の合成物である。力強い人間は意欲をもち、眠りをあまりとらない。守銭奴の生活というものは、この人間の力をただ一個人のためにのみ役立て、絶えることなく行使するのだ。それはただふたつの感情、つまり自己愛と私利私欲によってささえられる。しかし私利私欲は確固たる自己愛のようなものであり、実際上の優越を耐えず示すものであるから、自己愛も私利私欲も、利己主義というひとつのものの両面にすぎない。舞台で巧みに演じられるさまざまな守銭奴が、不思議なほど好奇心をかきたてるのも、おそらくそうしたところにあるのだろう。それらの舞台の人物は人間のあらゆる感情をそっくり縮めてもっているのだが、人間はだれでもこれらの人物たちと一筋の糸でつながっているのである。欲望のない人間など、どこにいるだろうか?社会に生きる人間のどんな欲望が、金銭抜きで解決できるだろうか?(p.141)

だから、上の引用部のような文章は、グランデ氏のみならず、ウジェニーにも、それなりに当てはまることになる。

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